毎週、日曜日になると亡くなった祖父に手紙を書いている。祖父は先月の11日に亡くなったので、初七日から七七日(四十九日)までの法要が日曜日にあたるからだ。
それと、月命日にあたる1月11日も手紙を書いているので、かれこれ亡くなってからというもの6通の手紙を書いて送っている。
もちろん彼がその手紙を手に取って読むことなどできるわけがないのだが、冥土の旅は険しいと聞くから、せめて現世で孫が思いを馳せていることだけ知ってもらって、彼が天道へと導いてもらえるよう、ただひたすらに祈っている。
これは、誰でもなく、わたしが彼に対してとりつけた約束だ。わたしは決して悪い孫ではなかったと思うけれど、それでも、どうしても後悔の念ばかりがうずまくから。
祖父に対して抱いている申し訳なさを彼に直接伝えることはむずかしいが、せめて言葉にしておくことで表現したいと思うようになった。
不思議なもので、彼が生きていた頃、なんでも話せたはずのときに話さなかったこと、話したかったこと、そういうことが最近やたらと思い出される。
別になんてことのない他愛のない話ではあるんだけれど、そういう話こそきいてほしかった。「そうか、そうか」と嬉しそうに笑う祖父の柔らかい笑顔が、わたしは大好きだった。
だったらそのときにちゃんと話しておけばよかったはずなのに、わたしは祖父に話さなかったことがたくさんある。「また今度話せばいいか」と、話すのを先送りにしたこともいっぱいある。
そういう話の、一つひとつを書き溜めて、手紙として彼に届けているのが今のわたしだ。後悔と悲哀しかない感情を吐露した手紙が彼にどう届いているのかは気になるところなので、いつかの未来でわたしが冥土の旅に出かけた際、尋ねてみようと思っている。