好きなまちには、好きな喫茶店があるなあと思うことがある。
今暮らしている世田谷と、将来的に暮らしたいと思っている函館には、それぞれ無二の喫茶店があって、どちらもわたしの拠り所になってくれている。
世田谷では、こんな調子で入り浸っている喫茶店が二つほど(正確にはもう少しあるが割愛)あり、もう何度訪れたのかはまったくわからない。ざっと均せば、週1〜2ペースだろうか。
いずれの店でも顔が割れているので、迷惑にならない程度に居座らせてもらっている。さいわい、わたしが訪れる時間帯は混まないタイミングだからか、のんびりほっといてくれるところが好きだ。
それから、函館での滞在中には必ず訪れている喫茶店もある。函館への渡航回数よりも、ここへの訪問回数のほうがもはや多いので、一度の滞在中に複数回足を運んでいる計算になるらしい。
さて、こうして、好きな喫茶店の写真を並べてみると、実によく似た雰囲気の店ばかり好きになっていることがわかる。
共通点はいくつかあって、店内が比較的暗いこと、内装が落ち着いた色味であること、席数が限られていること、生活音がほどよく鳴る空間であること。このあたりだろうか。
喫茶店になにを求めているかのこたえは人それぞれ異なると思うが、わたしは余白を求めている。時間的、空間的、思考的な余白。そのあたりを叶えるための条件は、そのままさきほどの共通点だといえるのだろう。
原稿や手紙を書き、考えごとをしたり、本を読む。そういう何気ない時間は、わたしにとって欠かせないものであると同時に、そういう行為を喫茶店で行うこともまた、欠かせないライフワークになってきている(だから家時間を過ごすのがめちゃくちゃ下手)。
心地よさを生み出す場で、別になんてことない営みを続ける。そんなあたりまえのしあわせこそ、案外極上なのだと最近は常々思うのだ。