16personalitiesだとかMBTIだとか呼ばれている性格診断テストがある。特性に関する結構な量の質問にこたえていくことで、人間のタイプを16通りに分類するものだ。
最近のビジネスシーンでは、この診断結果を共通言語に語る機会が増えたなあと思う。ここ数年、わたしも何度か診断を重ねてきた。
あの診断結果は得てして変わっていくものなのだが、わたしはあまり変化がなく、ずっと「INFP(-T)」── いわゆる“仲介者”だ。こまかな話に興味がある人はこちらを参照してもらえたらと思うが、一言でいえば、共感力を武器に生きる人間だと思う。
自分の利益を顧みずに大義のために生きる、なんてことが書かれているが、人への共感力が高すぎるあまり、他者との軋轢を生じさせることができないのだ。だから、よく板挟みになる。
わたしは仕事の場面でも、プライベートの場面でも、人と人とのあいだにいることがとても多い。しかも大抵、尖っている人と尖っている人のあいだだ。
無い知恵をはたらかせながら、なんとか緩衝材として他人の毒を吸いつつ、それらしい解決策とかコミュニケーション方法を探すような役回りを担当する機会によく巡りあう。
この生き方、まあまあしんどい。なにせ共感できるということは、怒りや悲しみなどの感情の大抵が自分にも降ってくると言い換えられる。それらを飲み込んだうえで、コトがうまくはたらくよう思考をめぐらせるのだから、余裕がないときには本当につかれる(さすがにうまく逃す方法も少しずつ覚えてきたものの)。
そんな話を、先日、母にしていた。同じ属性の彼女はわたしに一言、こう言ったのである。
「やじろべえのような人間は大変だよね。でも、詩乃がいるから救われてるって人は本当に多いんだと思うな」
なるほど、やじろべえ。右にグラグラ、左にグラグラ。言い得て妙だ。
わたしは、今まで自分の特性ゆえに降りかかってくるそうした困難をネガティブなものだと捉えることが多かった。
ところが考えてみると、やじろべえ側もまた、右手と左手の双方に適度な重量がなければそれなりのバランスを保って生きることができないのだ。
わたしはわたしで、他人の負荷を両手に持つことを生きがいにしてしまうような人間なのかもしれない。そう考えれば、大損のようなこんな性格にも多少の納得ができるのだった。