松陰神社が好きだ。とても気のいい神社で、訪れるたびに心が晴れやかになるのがわかるから。
毎年、年明けになると松陰神社に出向き、松陰先生にあいさつをするのがわたしの通例になっている。今年も変わらずごあいさつをして、いつも通りの「志守(こころざしまもり)」をいただいてきた。
松陰先生は困難に立ち向かい強い意志で生きていたが、その力を現代に生きる我々にもおすそわけするために生まれたという志守。
結構、わたしはお守りに宿されている力を大切に思っているほうの人間で、がんばらなければならない日にはお守りをにぎにぎしてから外出する、みたいなことをしちゃうタイプだ。
もちろんお守り頼みですべてがうまくいくだなんてありえないのだけれども、松陰先生の力をお借りして今年も強い心で苦しさに立ち向かっていきたい。
帰り道では、甘酒屋さんで売られていた玄米甘酒をいただいた。毎年、亡き祖父と初詣に行くたびに一緒に飲んでいたのが甘酒で、個人的には冬の代名詞だと思っている飲み物。
祖父が旅立ってからはじめての新年だからか、今日はその甘酒の味わいが一層しみた。口いっぱいに広がる甘さとは裏腹に、心は泣きっぱなしだったんだよな。
まだまだわたしの日々は空虚ばかりでどうしようもない。今年、楽しく生きるために乗り越えなければならない溝はどうやらたくさんあるのだろう。
強くありたいが、あれない自分。そういうものと向き合いながらも、多くの感情を吐露しつつのびやかに生きていきたいものである。