あえて書くなら、別に好きではないなあと思う。得意か苦手かという点はまた別議論だけれども、個人の趣向だけでいいなら人とのコミュニケーション、特に大人数を対象としたコミュニケーションはあまり好きじゃない。
なんでこんな話を突然始めたのかというと、昨日、通っているテニススクールで「いや、わたしコミュ障なんですよね〜」と発した言葉が、物議をかもした。
「いやいや、無理あるって、詩乃ちゃん!」と周囲から総ツッコミを受けたのだ。
わたし個人としては「いや、本当に!!!」と心から主張したいところだが、まあ日頃のふるまいを見ている彼らからしたらそんなわけないと思われるのだろうな〜と、ある程度は納得。
というのも、テニススクール内でわたしはそれなりにムードメーカー的な役割を買ってでることが多い。
それは単に、自分が担当することが空間にとっていいと思っているからだけの話なのだが、たぶん周りの目にはそうは映っていないだろう。素で、明るい、元気な人間だと思われている。
テニススクールという空間は結構特異性が高い。集団で1.5時間というそこそこ長い時間を過ごすのにも関わらず、コーチという存在は誰かに付きっきりの瞬間が常に存在する。
それゆえ、クラス内の雰囲気をつくるのはコーチではなく生徒になってしまうし、今後もレッスンを受ける者同士と考えるとそこそこ気をつかう。
また、年代や性別もバラバラだが、比較的年齢層高めの男性が多いケースがあり、彼らが快適に過ごせる空間をつくることが、すなわちクラスの雰囲気もよくするなあと思うのだ。
にも関わらず、その該当するおじさまたちは自分たちが振りまく負のオーラに気づいていないことも多く、なかなかドス黒い雰囲気を感じることもしばしば。
つまりなにが言いたいかというと、結構めんどくさい場所なのである。
そんなわけで、レッスンの雰囲気が明るいものになるよう、いじられ役もボケ役も基本的には引き受けるし、はじめてレッスンにきている振替、体験の方に声をかけたり、緊張をほぐすような一言もなるべく発するように心がけている。
その日のレッスンの人数、性別、顔見知り度合いなどなど。そのあたりを判断して、発する言葉やトーン、話すスピードや話題をなるべく使い分けている。
自ら進んでやっていることではあるが、場がわたしに期待している空気があるから、という理由は大きい。
実際のところ、そこまでやる必要なんかないのかもしれないが、雰囲気があまり良くなく、楽しめずに終わったレッスンを見たことのある身としては、自分が楽しかったと思うためにも、空間づくりをそれなりに意識しないともったいないのである。
そして、どうやらその営みはそこそこ成功しているらしく、わたしが在籍しているクラスはすこぶる雰囲気がいい。静かだった人が話しかけてくれるようになったり、コミュニケーションを取れるように変化したからだ。
(それはもちろんコーチや他のレッスン生の存在があってこそなので、自分が、という文脈では書いていないが、そう読まれる可能性が高いのでここらで補足。)
そして、そうやってふるまうことに対して嫌気がさしているわけではない。好きではないけれども、期待された通りに明るい爛漫な人間としていられているのであれば、それはたぶん「向いている」ということだと思うから。
まあ、できたらひとりで静かに黙って考えごとでもしていたい側の人間だが、振られた話に対してそれなりにクリーンヒットを打ち返すような営みはたぶん苦手じゃない。場をあたたかくする発言も苦手じゃない。
そう思うと、「好き」「嫌い」と「得意」「苦手」は必ずしも一致しているわけではないし、わたしのように「好きじゃないのに、一定得意ではある」ことも世の中には存在する。
そういった能力値と上手に付き合うこともまた、人間力を上げるための一歩なのだろうと思うばかりなのであった。