はじめて札幌という土地に踏み入れたのは2017年のことだった。当時の記憶を、なんのオブラートもない言葉で表現するなら最悪だったといえる。
そう滅多には思わないはずの「もう二度とくるか」という強めの感情を、当時のわたしは札幌に対して抱いてる(ちなみに、同じ感情を抱いたの稀有なもう一つの土地が沖縄だった)。
それでも、わたしは札幌が苦手なだけで、北海道は好きだというわがまま人間だから、なんとか縁を繋ぐかたちで札幌に足を踏み入れ続けている。
今回で6度目となる滞在だが、過去5回は「う〜ん苦手だなあ」と思ってしまっていた。別にそれは「土地に魅力がない」というわけではないのだけれどもね。
実際、札幌には素晴らしい喫茶店も大好きな雑貨屋さんもつい吸い込まれてしまうような本屋さんもある。札幌においては交通網も発達しており、旅行先としても優秀だ。
それゆえに、なぜ土地に対する好意的な感情がこれほどまでに生まれないのか、甚だ疑問だった。
その理由が、やっとわたしのなかで言語化できた。なんともいろいろな人を敵に回しそうな表現だが、それは「札幌が名古屋に似すぎている」からのようなのだ。
(誤解を生まないように書き添えておくと、わたしは名古屋の出身なので、名古屋のことを知ったうえで言っている。そして、名古屋のことが大好きだ。そういう前提で今から書く話を読んでほしい。)
札幌で大通りの地下道を歩いているときに、その感覚はふと舞い降りた。地下街にずらりとお店が並び、コンパクトな店たちが肩を寄せ合いながら在る様。
また、それがいわゆるターミナル駅ではなく、ターミナルから少し離れた場所に位置する、屈指の繁華街であるという点。
そういう雰囲気が、まるで名古屋なのである。名古屋駅という大規模なターミナル駅は、あくまでターミナル駅でしかなく、本来の繁華街はそこから数駅離れた「栄」という場所にある。栄の街にも地下街が存在していて、数多の店が十字路を描きながら並んでいる。
その地下街は、ずっと歩き続けると隣駅まで続いていて、雨風をしのぎながら、別の駅や路線へと乗り入れができる。そういう造りをしている。
そのなにもかもが、札幌も名古屋も同様で、まるで瓜二つ。ついでに、札幌にも名古屋にもシンボリックな電波塔まで揃っている。
先述したように、わたしにとって名古屋はこのうえなく愛している土地で、めちゃくちゃ愛着がある。ただし、それはあくまで「育っている場所だから」なのであって、愛知県外から見た名古屋は、すごく癖のある街に映るだろう。
「ごはんがおいしい」以外の理由で、名古屋が外から愛される可能性は、あんまりないと思っている。
東京と京都や大阪という大都市に挟まれた立地である名古屋は、歴史背景的にも、すごく独自文化を築きやすい土地だった。
暮らしていても、名古屋は栄えているのにどこか尖っているし、唯一無二であろうとしているようで、その独創さが出身者にとっての居心地の良さになっていた。
実際、結婚を機に名古屋へと越した母は、毎日その土地で暮らしていたのにもかかわらず、慣れるまで5〜6年はかかったそうだ。
「本当に、名古屋は向いていないと思った」と、そう振り返っている。けれども長く住めば都になるのか、母は名古屋を離れて10年以上が経つ今も「名古屋に行きたい😭」とよく乞うているのだから、人間の感覚とは不思議なものである。
同じような印象を札幌にも感じる。尖っているという表現が正しいのかはわからないけれど、栄え方や街の持つ空気感は確実に似ている。それゆえ、異邦人にとっては「苦手」に映るのだ。
「嫌い」なのではないのだ。どう接していいのかわからない、距離感を探っているような状態を「苦手」と便宜上呼んでいるだけで。
苦節7年、6度目の滞在にして、やっとその印象が薄れて慣れてきた。なんなら少しだけ「好きかもしれない」と思えたのだから、わたしにとっては大進歩である。
昔、沖縄がそうだったように、一度「好き」のバロメータに振れた感情は結構つよい。早々覆らない程度には強固な愛になることを、体験を通して知っている。
今後の未来では、札幌との距離感も近づかせながら、より良い温度感で付き合えるようになるのだろうか。もしそうなら大歓迎な話である。
拝啓、道内のターミナルである札幌さん。どうか、名古屋の兄弟的ポジで、わたしと仲良くしてください!