結局、なんだかんだ文章仕事の人間なのかもしれない

詩乃 / shino
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いや〜正直、ほんと正直な話を吐露するが、ライターとか編集者とか、向いてないんじゃないかってことを思う機会に最近やたらと見舞われていた。

この年末年始で一番考えていたことといえば、転職についての某。しかも、未経験でまったく分野、業界の違う仕事に就こうかと考えていたのだった。世も末である。

きっかけはいろいろあるんだけれど、祖父の他界とか、年末に配信された推しのライブとかそういうものが積み重なっていて、「わたしは本当はどう生きたいの?」をめちゃくちゃ考えるようになっていた。

本来、わたしは「安定」とか「平穏」とかそういう人生設計になんの魅力も感じていないたちなのだが、ここ数年を振り返ると、実に小さな変化だけで生きていたような気がしていて(他人から見たらそんなことはないかもしれないが、自分から見える自分はひどくつまらなくなってきていた)。

それに対する漠然とした危機感みたいなものが膨れ上がっていて、どうしましょうね〜と迷ったり、不安になったりしていたのだった。

(((あんまり悩まないとか、やりたいことに直行するとか思われていることが結構あるんだが、深夜あたりにひとりで思い悩んで禿げそうになるタイプの人間だ。悩みながら歩むってだけで)))

そんな折、自分の日々の行動とか、やりたいこととかを改めて見返したり、新年一発目の恒例である「BUCKET LIST(ぽいもの)」を書いたりしていた。

こういうことをしていると、気づかないうちに内省ができたり、心の内を第三者視点で見つめられるようになるのでいい。

2024年の指針や心得なんかを書いていると、やっぱり自分の「らしさ」みたいなものが見えてきて、心がすっきりしていくのがわかった。

結論、まとめると「文章の仕事で生きていく」のは変わらないのだと思う。その生き方を、これまで通りとか引き続きとかではなく、ぶち上げていく方面に切り替え直すっていうだけのことで。

上のnoteでも書いたが、最近のわたしは収まるべき箱に収まりすぎていた。空気を読みすぎていたし、ある種組織のなかで生きるのもうまくなってきていた。

そういう自分にヘイトを向けていきたいのだ。わたしは文章の世界でもっとやりたいことがある。書きたい記事があるし、話を聞きたい人がいるし、届けていきたい場所がある。これまで通りなんて、とてもじゃないがやってられない。

いつだって挑戦とは大きな環境の変化と紐付けられがちだが、生きる場所を変えずに果敢に生きることだってできるのだとわたしは思う。

だから、昨年までの自分に甘んじることなく、これまで書いてこなかった作品を残したいし、もっと多くの人の心を打ち抜きたい。ただひたすらにいい記事を書きたい。

第一、わたしは寝ても覚めても文章を書くことに苦を感じないタイプの人種だ。昨年の11月から、ここで好んで毎日文章を書いて投稿するようにしてきたが、びっくりするほどにわたしの暮らしに文章は根付きすぎている。

「好きなことを仕事にすること」に対しては反旗を翻す傾向にあるが、好きであり、続けることに苦を感じないことが仕事になっていることを、人は天職と呼ぶと思っているし、少なくともわたしにとって文章は天職だと思うから。わざわざ手放すなんて、あほすぎる。というか、絶対にいやだ。

そんなふうに思い直せたら、もうこっちのものだから。わたしは、文章を書くことを自分の生き様としていきたい。マルチな人間じゃなくてもいいから、ただ文章で生きていきたい。

 

いつだって心に置いているのは、とある師の家訓である「静かに、強く、優しく、柔らかく」という信念なのだが、それはつまり、淡々と野心を燃やしてぶち上がっていけ、というニュアンスだと理解している。

そこそこやっているライター、編集者という人間ではなく、この人に頼みたいと今よりも思ってもらえる ── すなわち、120点取れる武器を身につける ── 一年にするために、今年は戦い抜いていきたい。

やっと、シンプルな目標が見つけられたので逃げないぞ〜。がんばってくれよな、2024年の詩乃よ。

@shino74_811
暮らしが好きな旅の人。属性は編集者。もっとも気を抜いて文章を書いている場所なので大した期待はしないでください。