今さっき、母から電話があって、祖父が危篤状態だと連絡をうけた。祖父はついこの間アルツハイマー型認知症の診断を受け、その後、嚥下ができなくなったり下痢が止まらなくなったり肺炎を患ったりなどの背景から入院を余儀なくされていた。
自力で食事ができなくなったのがここ最近のホットトピックなので、先はそうそう長くないという話だったが、この週末にどこからかウイルスをもらったらしく発熱や血圧の大幅な低下が見られているそうだ。
お医者さんの話によると「今が峠。会ってほしい人がご家族にいたら、すぐに連絡をしてくだい」とのことらしく、ありがたいことにその一人として連絡をうけた。
電話口ですすり泣く母の声を聞いたとき、咄嗟にわたしは「普通でいよう」と思ってしまった。なので、とんでもなく冷静な対応をしてしまったが、内心、今は大混乱に陥っている。早すぎるだろと思わずにはいられない。2023年はさすがに頑張ってくれると思ってたなあ。じいちゃんよ。
そんなわけで、明日わたしは仕事をそれなりに放り出して病院にいくことになっている。たぶん、明日祖父の姿を目にできたら、それが生前最後になるだろう。そういう覚悟で、行く。
いずれその話を書きたいとは思っているが、わたしの旅が好き、写真が好き、というこの性格は祖父から譲り受けたものだった。相当なおじいちゃん子だったので、いつだって新しい世界を彼が見せてくれた。フィルムカメラだって、彼が譲ってくれたものを使っている。
アルツハイマーを患ってからも、わたしが彼に会いにいけば、いつだって嬉しそうに「元気か?」「仕事はどうだ?」「詩乃と食べるごはんはおいしいな」だなんて、笑って言ってくれていた。彼はわたしの希望だった。
もうすぐ、わたしを愛してくれた大切な人をまた失う。その突然に対応するだけの精神力は、わたしにはたぶんまだない。きっと相当のダメージを負うことになるのだろう。
受け止めきれる余裕はないけれど、母や祖母はもっと憔悴しているはずだ。せめて家族のためにわたしができる限りのことはしていたいと思う。それが、笑顔を届けることならわたしはいつだって笑うし、一緒に悲しむことなら全力で泣いてやる。残された家族を支える柱になることが、今のわたしにできることだから。
やってらんないような現実を前に、とりあえず今は正気で生きていたい。とかいって、実際はたぶん泣き崩れちゃうんだけどさ。