東京にいるとき、わたしは多くのプライベート時間をテニスに充てている、という話をよくしている。それはテニススクール然り、外での野良練習や試合然り。
世の中のテニス人口の分布をざっくり見ると、我々世代の20代は圧倒的に少ないらしく、ボリュームゾーンは40〜60代のミドル世代だと聞いたことがある。
特に、わたしが好んで属するのは力強いプレーをしてくれる人のいる集団なので、必然的に男性陣が多くなる。要するに、わたしがテニスを通じて仲良くなるのは、おじさん世代のプレイヤーなのである。
このおじさん世代たち、なかなかおもしろくて、直接話している分には普通の人なのに、テキストコミュニケーションの雰囲気が明らかに異なるのだ。
ちょうど今日の昼に届いた連絡が素晴らしい例示になるので簡単にご紹介しようと思う。
前提条件として、これは同じテニススクールに通っている仲良しのおにいさんから届いたものだ。
スクール内で飲み会を開催する話が出ていたので、同じクラスに在籍している彼に、よく絡みのあるコーチや生徒さんがいるかどうか、また飲み会を企画した場合に声をかけて構わないか、そういったことを尋ねた旨の連絡に対する返信である。
どどどんどどん。一見するだけでわかる、絶妙なおじさん構文感、伝わるだろうか。個人的にはユニークさを感じたポイントが3点ある。
「❗️」「^_^」というわたしは使用機会のないテキスト群
「特に絡みがある人はいない」とだけ言えばいいのに、わざわざパーソナルスペースに入りこんでくる言葉選び
そう言ってるのに、人の名前をきれいに間違えてくるあたり
あくまでこれは文化圏の違いという話なので良し悪しではないし、わたしは彼に「それ意味わかんないっす」と言える関係性を築いているので、これはもう昇華しきったエンタメなのだが。
それでもやっぱり届いた瞬間にユーモアを感じずにはいられず、こうして文章を残すに至ったのだからすごい。
繰り返しになるが、これの送り主は本当に人として素晴らしい人格だし、思いやりも優しさも持ち合わせている人だ。対面している分には1時間でも2時間でも話していられるし、なんならめちゃくちゃイケメンでもある。
だからこそ、自分とは異なるカルチャーで育ったというだけで、ここまでテキストコミュニケーションが変わるのかと衝撃をうけるのだ。そしてたぶん、このコミュニケーションは送る相手を間違えると結構嫌がられるとも思うわけである。
もはや、愛おしきおじさん構文。まるで異文化交流会に参加しているような気持ちで、微笑ましく眺めているわたしがいる。