他人に読まれることに慣れた人間はいつだってそういう文章を書く

詩乃 / shino
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しずかなインターネット(このプラットフォーム)で文章を書き始めるようになってから、約10日。初めて文章を書くことを生業としていない方の投稿を拝読した。

特になんの理由もないのだが、たまたまSNSに流れていたのを見つけてURLをタップしたというそれだけの話だ。読み始めて、おもしろいなあと思った。

文章を書くことを日頃からの生業としている人間の文章は、常に見られる意識を保った文章になるのだなと気づいたからだ。

というのも、ある種日記のようなかたちで、記録を残している方は、自分の感情やできごとに対して、とても素直な文章を書かれる(たまたまわたしが出会った文章がそうだというだけかもしれないが)。

変に取り繕ったりしないし、読み物としておもしろくしてやろうだなんて下心もない。ゆえに、読了感としては、和三盆を食べたときのようなやわらかい心地を抱く。

一方、他人に読まれることを前提に文章を書く人間の思考はというと、エピソードに対するある程度の脚色やら文章全体でのメッセージ性やら、表現としての色やらに意識が向く。これは、もはやデフォなので無自覚なのだが。

どれだけ気軽にとか、ありのままにとか言ったとしても、見られるという意識はそれほどまでに厄介だ。もちろん、読んでくれる人がいることが、私たちのモチベーションになっているのは紛れもない事実なのけれども。

文章を書くことだけで生きてきて、そこそこ時間が経った今。人の文章から学ぶことはやっぱり多い。それは先人や有識者によるものばかりでなく、身の回りのささやかに綴られた文章からも、という意味で。

読まれるための文章を書く人間としては、バランスを取りながら良いものを作り続けていきたい心意気だ。

@shino74_811
暮らしが好きな旅の人。属性は編集者。もっとも気を抜いて文章を書いている場所なので大した期待はしないでください。