歩くスピードが遅くなった。
以前と同じスピードで歩くと、疲れてすぐに立ち止まってしまう。
だから、自然とペースを落として歩くようになった。
自慢じゃないが、もともと健脚な方だ。
Googleマップで歩いて50分以内と表示されれば、徒歩圏内と判断する。
5,6年前会社員をしていたころは、20分ほどの朝散歩をしてから出勤していた。(車出勤だったのでギリいけた)
東京で営業をしていたときは、クライアント最寄り駅のひとつ前で降りて歩いたり、途中の定食屋に冒険したりしていた。スニーカーではなくパンプスで。
もちろん車を手放してから外出はほぼ徒歩なので、1時間くらい歩きどおしていることもある。が、それでも遅くなったなあと思う。
そう感じるくらい、体力が落ちた。
半日横になっている生活をしていれば、さもありなんという感じだ。
少し前まで鬱の渦中だったので、体感として落ちてきたのが今だったのだろう。
鬱の診断を知らされるまで、長かった。
たぶん、通院に行くために薬を飲んで元気そうに装ったり、日常生活での症状を覚えていないくせにメモは取らずに院外でのことを正確に伝えられなかったりしたからだ。
さらに、鬱であることや症状の詳しいことは家族に言っていない。
家族に言っていないということは客観的な情報がないということでもあるし、身近な人からの協力を得られないということでもある。
治療のための情報が少なく、周囲の協力もあまり期待できない。私は心療内科の専門家ではないが、まあまあハードな気がする。
そんなワルい患者でも、困っている実感があればさすがにどうしようとなりやすい。
歩くペースが落ちるというのは、私にとって実生活に直結する。なので、ああこれはヤバいかもな、と今更ながら体調記録や使える支援を調べるなどしている。
一方、歩くのが遅くなるのも悪いことだけじゃなかった。
茂みの奥からこっちを覗いている猫を見つけられるし、漁船が港に戻ってくるのを追うことができる。今朝は思ったより冷えるから早めに帰ろうかとか、いつもの用水路に水がなくてカニたちはどこに引っ込んでいるんだろうとか、思いを馳せることができる。
鬱から回復すると、前と同じ人間には戻れないとよく聞く。
ちゃんと調べてちゃんとしたエビデンスが出てきたらいらぬダメージを食らいそうなので深入りしていないが、かなりショッキングな見出しだ。
もし本当なら、前のようなペースで歩くのはもう難しいのかもしれない。
子どものころ、ひとりでゆっくり下校するのが好きだったのを思い出す。
シロツメクサが覆う田んぼの畦道や、畑のそばにある土の用水路、ブロックの上からあふれんばかりのツツジ。
河原をイタチが走っていくのを見て、あれはなんだろうと心を躍らせることもあった。
今日の買い物の帰りに、ハイビスカスに似た白い花を見た。
まだ立ち止まる勇気はなかった。
いつか写真を撮れるだろうか。
「歩くのが遅くなった」を「歩くのがゆっくりになった」と言えるように。