インターネットの扉を見つけた

三角/misumi
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先日、しずかなインターネットのことを知った。Blueskyのリポストがきっかけだった。Twitter(X)ではなくて、Blueskyが先だったのだ。その事実が私にとってはなかなかの衝撃だった。

「わたし、Twitterから離れても大丈夫かもしれない」と、自然と思えた。

改めて確認してみると、Xのプロフィールには「2010年8月からTwitterを利用しています」と表示されている。私がTwitterのアカウントを作成したのは今から13年前らしい。友人と一緒に学生時代に始めて、20代は丸々Twitterとともに過ごした。いろいろなものを好きになって、ライフステージも変化して、その時々でその日その瞬間のことを書いたり書かなかったりした。

私にも変化はあったが、Twitterというサービスそのものにも私と同じようにいろいろと変化があった。特にここ1年くらいの変わり様とそのスピードに動揺している人は世界中にたくさんいるんだろう。私も以前のこんなところが好きだったなとか、今のこんなところが合わないんだよなとか、いろいろな思いを抱えながらサービスを利用している。

たかがSNS、積極的に誰かと交流をしてきたアカウントでもないし、わざわざ利用して受けなくていいはずのダメージをいちいちくらっている必要なんてないのだ。と、分かってはいるものの結局今でも一日のうちのそれなりの時間をTwitterを開いて過ごしている。

別に完全にやめたいわけではない。アカウントを消したいのに消せないなんてことで悩んではいない。たぶんこれからも使い続けるだろう。それでいいと今のところ思っている。ただ、これまでずっと「やめたいとは思っていないが、やめようとしたところできっとやめられないのだ」とぼんやり考えていた。「出口がない」という感覚がずっとあった。Twitterという部屋のなかに13年間ずっと居て、インターネット上のホームだと思って過ごしていた。

私の脳内イメージでは、これまでその部屋に出入り自由な扉はなかったのだ。

出られない部屋。出ようと思ったこともない。可能性として想像できたのは、自らの意思で出入りする姿ではなく、サービス自体が終了するときにイメージ上のその部屋とインターネット人格としての私がパッと消滅する様子。

だったのだけど、扉は突然私の目の前に現れた。

自分の興味のある話題、心ひかれるコンテンツに、Twitter以外の場所でも出会えた。言葉にしたらただそれだけで、特別な何かが起きたわけではない。それだけじゃなくて他にも色々なことが重なったタイミングだったんだと思う。ふと「Twitterを離れても大丈夫かもしれない」と思えた。大丈夫、というのは大げさに言えば「生きていける」ということで、「また別の楽しさの中に自分の居場所をつくれるだろう」という希望が見えたということでもある。他の場所には連れて行けないものもたくさんあるんだけど、仕方ない、それでもいいか、大丈夫、と思えたらそれまで存在しないと思われていた扉が急に目の前に現れた。

それでもやっぱり、あの部屋を去ろうとは思っていない。だけど、扉が見えていて、出入り自由なんだと思えているとずいぶん気が楽だ。本当に。

私のインターネットの中心だったTwitter。これからしばらくは、扉から自分の意思で出て別の場所で生きてみたり、また戻ってきたりしながら過ごすんだと思う。

ここ(しずかなインターネット)を継続的に使っていくかはまだ決めていないけど、扉を見つけたきっかけとして何か縁がある場所のような気がしたので、この話はここに書き留めておきたいなと思ったのでした。