ぬいぐるみを自作してみたいな、とここ数ヶ月ずっと思っている。
ちいちゃくて、毛並みがよくて、表情が読み取れるようなそうでもないような顔をしたぬいぐるみ。手のひらに全身すっぽりおさまるくらいの大きさがいい。もしかしたらそれはマスコットと呼ばれるものなのかもしれないけど、ちいさいぬいぐるみと言い張りたい。鞄やポケットに忍ばせて、どこかへ一緒に出かけられるといい。話しかけたりはしない。なんだか照れくさいし、たぶんぬいぐるみ相手に語りかけるような言葉は私のなかから湧いてこない。そういう性分なんだ、私は。でも写真は撮らせて欲しい。一緒に映らなくていい。人間の世界にたたずむ姿を収めさせてほしい。カフェでコーヒーと一緒に写ったりしてほしい。
「つくりたいなら、つくればいいじゃん」と私の中のわたしが言う。
だけどぬいぐるみは捨てられないから、困る。一発で最愛のぬいぐるみを生み出せる自信がないので踏み切れない。お気に入りの一体がこの世に生まれるまでに、すこし気に入らないところがある試作品たちが生まれてしまうことを想像して怖気付く。そしてそのすこし気に入らないところにもだんだん愛着が湧いていき、気がついたら試作品n号と名前をつけて一緒に暮らしている自分が想像できてしまってこわい。あっという間に私の生活がぬいぐるみに囲まれてしまう。ぬいぐるみ包囲網だ。どの子と一緒に出かけるのか決められなくて、ローテーションで出かけましょうというルールを作ってしまいそうだ。みんな、平等に、愛さなくては。自分で作ったルールに縛られて苦しくなる。そういう性分なんだ、私は。
でも本当にこわいのは、最愛の一体以外は躊躇なく捨ててしまえる自分も簡単に想像できること。生地を裁断し、縫い合わせる。私はどこからそれをぬいぐるみとして、愛する対象として認識するだろう。目を付けたら?綿を詰めたら?それとも綿の入れ口を最後まで縫い終えたとき? 自分の理想の完成形に及ばなかったそれらを、布の切れはしや糸くずと一緒にゴミ箱へ入れる自分の姿が浮かぶ。こわい。「あ、私、捨てちゃえるんだ」って自覚する瞬間がやってくるのがこわい。
だからまだしばらくは、ぬいぐるみ作ってみたいなって思うだけに留めておこう。欲は欲のままで。想像上のぬいぐるみを愛でて満足しておくことにする。