筋トレにおいて重要な要素は3つある。まず骨格である。骨が太いほうが、骨の周りに付けられる筋肉の最大量が多い。子どもの頃に作ったゴム鉄砲を思い出してほしい。細い割り箸一本では、耐えられる輪ゴムの本数は限られている。割り箸を二本、三本と束ねていくほど、輪ゴムを多く付けられ、より速く・強く弾を撃つことができる。骨と筋肉も同じような関係である。
次に精神力、あるいは執念である。筋トレという行為自体は苦行以外の何ものでもない。何が楽しくて重りをただ上げ下げしないといけないのか。それは、未来のかっこいい身体というリターンを得るための、地道で気が遠くなるような投資である。本格的に身体作りをしたいなら、少なくとも週3回はこれを1時間強もかけて行わなくてはならない。
最後に、そして最も重要な要素は、消化能力である。意外に思われるかもしれないが、間違いなく最重要である。この世の法則として、秩序を作るには必ずエネルギーが必要である。筋肉は、無秩序なアミノ酸を材料として、秩序のある筋肉細胞を組み立てることによって得られる。これには莫大なエネルギーが必要となる。筋トレは、そのプロセスを刺激するシグナルに過ぎない。身体の負荷限界をギリギリ超える負荷を与えることで、身体に成長を促す。前回の負荷に耐えられるだけの筋肉を追加生産することを要請する。このシグナルがあっても、材料とエネルギーがなければ、筋肉は増えない。ゼロ。むしろ、これらが不足している場合には、筋肉が疲労しただけで十分な修復ができず、マイナスになる。しかも、筋肉が増えれば増えるほど、それを維持するためだけの保守エネルギーも増える。このエネルギー水準を越えるカロリー量を摂取し続けなければ、筋肉は増えない。
私は、この3つの要素のうち、2つを絶望的に欠いている。骨格は最細である。世の中には、筋肉量のポテンシャルを大まかに測るテストがあり、それは手首の周囲を基準とする。私の手首は激細であるし、私と会ったことがある人なら一目で私のフレームの軽さが分かるだろう。
次に消化能力である。これも絶望的に無い。昔から食が細い。ここ半年間でやっと人生初の60キロ台に到達できたのは、消化しやすくカロリー密度の高い食事内容を研究を重ねて見つけたからである。決して筋トレが足りていなかった訳ではない。ボトルネックは摂取カロリーであったのだ。その上、私は多くの食材に対して過敏であり、制限が多い。小麦はまずアウト。米も怪しい。牛乳関連もだめだ(乳糖を含むチーズやヨーグルトも消化しにくい)。プロテインですら、多くの市販のホエイは消化しづらい。高精製のアイソレートであってもだ。これについては、友人に教えてもらったグラスフェッドのブランドがあり、初めて問題なく消化できるプロテインに出会った。このプロテインと、じゃがいも、果物、きび、オリーブオイル、バター、羊羹などで今の身体を作ることに成功した。
しかしながら、このような圧倒的不利な競技に挑んでいることに対して、疑念はない。私は身体をハードウェアとしてしか捉えていない。あくまで私のソフトウェアが与えられたハードウェアであり、そのハードウェアを取り替えることは(少なくとも今は)できない。であるならば、そのハードウェアの限界に挑むことに、何が問題があるだろうか。私はブルース・リーの身体に憧れているのだから、それに挑戦して何が悪いのだろうか。もちろん、ものすごいスピードで他人に追い抜かれる体験はいくつもあるが、ハードウェアの性能が違うのだからしょうがない。軽トラにいくら燃料を注ぎ込んでも、ブルドーザーには叶わない。私は、自分のハードウェアが可能な範囲の中で、最適化を行い、マイペースにやっていくしかないのだ。
マッスル北村みたいな人を羨ましいと思ったことがない訳ではない。しかし、私の通うジムには骨格が小さく身長も低いおじさんがいるが、そのジムで間違いなく一番強い。ほぼ毎日いて、ものすごい重量でやっている。それを見て、私が密かにモチベートされていることを、彼が知ることはないだろうけど。