風邪引きと医者

shisui
·

・ご都合時空(生前)

・捏造しかない

・医者と羅刹が比較的仲良し

なんか身体が重いな、というのが最初に気づいたことだった。両手の鉤爪で目の前の人間をバッサリやったときである。腕を振り抜いて、さぁ次だと構え直す時にやけに腕が重いと感じたのだ。

今回の戦は戦力差が歴然で、敵も歯応えがない。いつもなら戦闘行動に高揚するのだが、今日は余計なことを考えてしまう程に余裕があった。だからだろうか。イマイチ乗りきれていない、気がする。確かに戦いは楽しい。身体を動かすのも好きだ。だが、いつもと何か勝手が違うというか……。

(視界が狭い……?)

いつも頭の片隅にいる医者の自分は、主に白い靄として知覚しているのだが今日はいつもより主張が激しいと思う。普通に邪魔だ。ついに物理的に視覚にまで割り込んできたのか?目をシパシパさせてみる。……いや、んん?気のせいかも?なんだか思考が纏まらない。(楽勝とはいえ)戦の真っ最中であるにも関わらず、おれは何で考え事なんてしてるんだ?

(オイオイ、しっかりしろよ。大兄貴にドヤされちまうぞ。煉骨にも蛇骨にも何言われるか分かったもんじゃねぇ)

軽く頭を振って邪念を散らす。大きく吐き出した息は、僅かに熱っぽい気がした。

目の前および周囲の敵をあらかた倒し終え、同じく前線で暴れ回っていた蛇骨と合流する頃には肩周りの関節に違和感を感じるようになっていた。

「おーいどうしたよ。肩痛めたか?」

「……いや、そうじゃねぇ。どっちかというと筋肉痛みたいな感じだ」

「筋肉痛ぅ? 珍しいこともあるもんだな」

確かにおかしい。蛮骨の大兄貴と一緒に行動するようになってから、このような症状とは無縁だったはずだ。

先に大兄貴んとこ行っとくからな〜と去っていく蛇骨を追いかけることもせず、鉤爪も付けたままに肩や腕の関節の具合を確かめていた。

夜。

どうにも戦の昂りが消えていかない。どちらかと言えば退屈に思っていた今日の戦闘だったが、無意識に楽しんでいたらしい。ま、よく考えなくても戦は楽しいものだ。

「睡骨、それ寒くねえのか?」

拠点にしている建屋の濡れ縁で着物のあわせを広げて涼んでいると、煉骨が声をかけてきた。たまたま気になった、と言えばそれまでだが、普段から口数が多いというわけでもない男にしてはいささか珍しいと言えるだろう。

「涼しいもんだぜ」

頬を撫でていく風は適度に体温を奪ってくれて心地がいい。身体を倒して空を見上げてみると、無意識のうちにため息にも似た吐息が漏れ出ていく。今夜は星があまり見えないのだけが残念であった。

……んん、なんだろう。普段星なんて気にもしないくせに。

「おいそこで寝るなよ」

「分かってるよ」

流石にこんな場所で本格的に寝るつもりは無い。チラと目線を寄越したあとは興味を無くしたようにさっさと行ってしまった煉骨の小言に適当に返事をしながら、ちょっとだけ、と瞼を閉じてみたのだった。

次の日。

昨日と同じく歯ごたえのない敵をバサバサと薙いでいくが、明らかに不調の自覚があった。頭が重い。身体も重い。目が霞む。

昨夜はあのあとすぐ部屋に戻り、腹を満たしてから布団で眠りについた。戦で敵の攻撃を受けた記憶もないし、霧骨の変な毒を吸った記憶もない。不調の理由が分からない。

((……風邪を引いてるんだ))

(…………風邪?)

いや待て。今のは誰だ。誰に話しかけられた?

((おまえ、もはや意識が朦朧としてるぞ。ほら、後ろ。……気をつけて))

慌てて振り返ると刀を振りかぶる武者がいた。こんなに近くに迫られても気付かなかった事は今まで1度もない。振り返った勢いのまま反射で左腕を振るうと、目の前の敵は呆気なく崩れ落ちたが、結構な量の返り血を浴びてしまった。口に入った血をペッペッと吐き出すと、嫌に息が熱い気がした。いやいやそんなことよりもさっきから話しかけてきてる奴は一体誰なんだ。聞き覚えのある声ではあったが。その「声」は鼓膜を震わせていないことを薄々知りながら、あえて深く考えないようにした。

いつもより疲れていたのだ。

遠くから訝しげにこちらを見つめる蛇骨に気付かない程度には、視界も狭かった。

なんとか戦闘に片をつけ、帰路に着く。

さっさと帰ろうぜ〜なんて背中を叩いてくる蛇骨に返事をしながら、鉤爪の紐を解いていく。

蛇骨はなにも言わないが、途中から視界にこいつが映り込むことが増えたのには気付いていた。どうにも身体はフラつくし、いつものように爪を振るえていない自覚は(若干)あったが、蛇骨の目から見てもそうだったのだろうか。気にされていることに多少のイラつきはあったが、いつでも駆けつけて来られるような距離に姿があって、不本意にも安心していたのも事実だった。だから、心の中でだけ礼を言っておいた。

帰ってきてせっかく一息ついていたのに、さっきから喉がいがらっぽくて、どうにもゲホンゴホンと空咳をしてしまう。「あ゙ーーー、あ゙〜〜?」なんて声を出して喉の調子を確認していると、隊の奴らから口々に「どうした」やら「らしくねぇぞ」やら「大丈夫か」などとやたら声を掛けられたが、何も考えずに反射で「ほっとけ」と返事をしていた。大抵のやつは素っ気ない返答にムッとして、でも「さっさと寝ろよ」なんて言葉を吐いて去っていく。そんな中食い下がったのは意外にも煉骨である。どうした、から始まり、体調が悪いのか、気になることがあるのかと色々な方向からつついてくるのには辟易としたが、同時に少し驚きもした。

こんなに世話焼きだったかコイツ?

額に触れられた時は思わず振り払ってしまって気まずい空気が流れたが、煉骨は特に気にした風もなく皆と同じようにもう寝ろとだけ告げて背を向けた。去り際に「大兄貴」と「医者」という単語が聞こえてきて思わず舌を打つ。

こいつ大兄貴に何を言う気だ?

冗談じゃねぇぞ。おれは医者は嫌いだ。

+++

夜中。

番をしていた煉骨は廊下を歩く睡骨の後ろ姿を発見した。やけにコソコソと足音を気にして、キョロキョロと辺りを見回す様子があるくせに背後には気付いていない。かなり怪しかった。夕方も様子がおかしかったが、あれは十中八九風邪だろうと煉骨は考えている。今日は早めに寝たようだが、果たして明日には治っているのか悪化しているのか。ともあれ今の睡骨はこんな場所にいていい状態ではないのである。さっさと寝床に連れ戻さなければ、と面倒事はごめんだと思いつつ若干の心配を滲ませて煉骨は小さく声をかけた。

「おい睡骨。こんな時間にどこ行くつもりだ?さっさと寝ろと言っただろ」

「!!」

大袈裟なほど体を強ばらせ、勢いよく振り向く睡骨におや、と煉骨は違和感を抱いた。どことなく怯えたような、緊張感がこちらにまで伝わってくるようだった。

「お前、医者のほうだな」

「……誤魔化せませんか」

「当たり前だ」

こんな夜更けに、具合の悪い身体を引きずりながら、見つかるリスクを負ってでも向かう場所である。煉骨は夜逃げの可能性も考えながら慎重に尋ねた。

「それで、どこに行くつもりだ。睡骨は風邪のはずだろ」

「はい。なので薬草を取りに」

「薬草?」

「……今日の昼に、あちらの林にどくだみが生えているのを見かけました。きっと、よもぎもあるでしょう」

それを取りに行くと。

どくだみやよもぎ程度では、煎じて茶にしたところで無いよりマシくらいの効果しか期待できまい、と思ったが、煉骨は指摘しなかった。今から向かって、摘んで、帰ってきてから乾かして、煎じて…とこれからの予定を考えると頭が痛いが、放っておくわけにもいかない。こいつは病に罹っている身体を勝手に借りて出かけようと言うのだ。普通に悪化するに決まっている。

「……ハァ」

あからさまにため息をついてやって、頭巾の上から頭を掻きむしる。出禁か軟禁か、とハラハラしている医者に向かって煉骨は吐き捨てるように呟いた。

「おれも行く」

+++

(あ〜……あたまがいたい)

朝。目が覚めた途端に襲ってくる頭痛と身体のだるさにため息が出た。息を吐ききったところで噎せて派手な咳も飛び出てくる。

ああ、これはもうだめかもな。

何が駄目なのかも分からないが、そんな感想が浮かぶ程である。

いやいやこんなことに弱音を吐いていては大兄貴に顔向け出来ないぞ。

謎の理論で無理やり自分を鼓舞して起きようと思っても、何故か身体が動かない。

(!?)

周りを見渡しても真っ暗で、隊の奴らもいない。そもそもここはどこだとパニックになりかけると、目の前に医者のおれが座っていることに気付いた。

((お前は今日1日寝ていなさい))

(なに言ってんだそんなこと出来るわけないだろ)

((そんな状態で行っても逆に怪我をするぞ))

(うるせぇ)

((ね て な さ い!))

(邪魔すんな!)

力ずくで布団に押し込んでくる腕を強引に振り払ったところで、ハッと目が覚めた。いや、目は覚めていたのだが、現実に戻ってきたと言うべきか。寝ていた布団から身を起こしてあちこち検分するが、特に異常は見当たらない。

(……夢?)

変な夢もあったもんだ。もう1人の自分と夢の中で喧嘩をするなどと。

((お前は本当に言うことを聞かないな……))

夢じゃねえのか!?

結局、寝てろ寝てろとせっついてくる医者のおれは夢ではなかったらしい。頭の中からガンガン小言を言われると余計に頭痛が酷くなる。こんなことは初めてだ。顔を洗おうと水場に向かう途中、ハァと大袈裟に息を吐いて眉間とこめかみをぐりぐり揉んでいると、ちょうど廊下の向こうからやってきた大兄貴(と煉骨)に見られたようだった。

「よぉ睡骨。どうした?大丈夫か?」

「別に何ともない。大兄貴は気にしなくても大丈夫だ」

具合が悪いことがバレたくなくてぶっきらぼうになってしまった。(というか、これでおれの具合が悪いことをおれ自身で認めてしまった)大兄貴には申し訳なさが募るが、今日もまた戦に出なければいけないだろう。そのためにも準備に早く取り掛かりたかった。

「それより、早く支度をしないと……」

「いやいやちょっと待てって。お前は今日は留守番だ」

「は!? いやだから大丈夫だって…」

「煉骨から聞いたぞ。具合が悪いんだろ?無理すんなって」

チクリやがったなこいつ!!

ギッと睨みつけるが、煉骨は露骨に横を向いていて目が合わない。

「悪くない!大丈夫だ!」

「おい睡骨……」

「あーもう大人しくしろ!」

見ていられなくなった煉骨が横から口を挟むのを振り切るように、大兄貴の手刀が首に炸裂した。息が詰まり視界が黒く染まる。慌てたような煉骨の声と苛立ったような大兄貴の声が遠くの方で鳴っている。身体が傾いて床が目の前に迫ってくるが、衝撃を受ける前に意識が先に消えた。

((だから言ったんだ。大人しく寝てなさいと。))

(……うるせえ)

((馬鹿は風邪を引かないと言うが、お前は自分が体調不良だと分かっていたでしょう。意地を張るのも大概にしなさい))

(…………うるせぇ…)

((結局皆さんに迷惑をかけて))

(…………)

何も言い返せない。戦場では蛇骨に尻拭いをさせたし、煉骨も大事になる前に大兄貴に報告したのだろうし。そして先程その大兄貴の手も煩わせた。それもこれも自分の具合を過信した結果だ。いや認めたくなかっただけだ。自分が風邪を引いたなどと。医者に厄介になるなどと。

((これに懲りたらもう無茶はしないことだ。何かあったら蛮骨に言うこと。いいな?言いにくいなら煉骨でも))

(お前、いつの間にそんなに親しげにしてんだよ)

((別に、いつも見てれば嫌でも名前くらい覚える。ほら返事は?))

(……)

医者の野郎のいいなりにはなりたくなかったが、ここでまた意地を張って皆に迷惑をかけるわけにはいかなかった。ただでさえ七人隊のおれと医者のおれ、なんていうややこしい身体で迷惑をかけているのに。

(……わかった)

((よろしい))

ハッと気がつくと、布団に寝かされていた。

ぼうっと天井を見上げていると、隣にいた蛇骨が湯のみを差し出してきた。

「ほら、これ飲め」

「……なんだこれ」

「薬草茶だよ。薬の代わりだってさ」

それを聞いて、最初に頭をよぎったのは「誰が作ったのか」だった。こんな芸当が出来るのは(男相手に作るかは別として)霧骨か、大穴で煉骨くらいだろう。口ぶりからしても蛇骨本人が作ったものでは無さそうだ。誰かに「飲ませろ」と指示でもされているような台詞である。

「……」

そのあたりを追及したところでやぶ蛇にしかならないことは分かっていたので、黙って受け取ってグイと一気飲みした。

「マッジィ」

「だよなー。やばい匂いしてたもん」

カラカラと笑って、蛇骨は部屋を出ていった。今が何時なのかは不明だが、きっと戦に行くのだろう。少数精鋭のおれたちにとって、1人が抜ける穴は消して小さくない。だが、それを補ってあまりあるほどの強さも兼ね備えている。おれの分まで思い切り暴れてくるだろう蛇骨を少しだけ羨ましく思いながら、今しがた起きたばかりのせいで全く眠くない身体を布団に沈めたまま、暇つぶしに天井のシミを眺めるのだった。

内側からの声は聞こえない。

いつの間に眠ったのか、夢を見た。

医者のおれが、寝込んでいるおれを看病する夢。身体を共有しているので、現実ではありえない。だから夢だと分かった。

何してんだ。と思った。おれは医者のことが嫌いだし、やつもおれのことが嫌いだろう。わざわざ嫌いなやつの面倒を見るほど酔狂なやつでは無いはずだ。嫌そうな顔こそしているが、熱を測るために額を手のひらで覆う医者に対して負の感情が湧いてこない己に戸惑い、何も言えない。

拒絶が飛んでこないのをいいことに、医者は日頃の文句を吐き出すが如くにぽつりぽつりと言葉を重ねていった。

お前たちのことが、わたしは理解出来ない。戦いが愉しいなんてありえない。他人を傷つけることに愉悦を感じるのは、それこそ羅刹の所業だ。……お前のことは嫌いだが、だからといって苦しんでほしい訳じゃない。傷ついてほしい訳でもない。だから早く治しなさい。

勝手に説教されてむかついて、黙れとは思った。でも消えろとは思わなかった。

冷たい水に浸した布を絞って額に乗せてくる手。首筋から熱を測って、熱いなと呟く声。こんなものしか出せないが…と申し訳なさそうに差し出される茶。起き上がろうとするおれを支える腕。

嫌いだと言う相手に向かって、甲斐甲斐しく世話を焼く【おれ】。

ほんの一瞬だけ、家族とはこんな感じなのかと思った。見返りを求めず、ただ無条件に与えられる心だ。偽善だとは何故か思わなかった。熱で茹だった頭は簡単にこいつを味方だと勘違いする。相変わらず不味い茶を少しずつ飲み込んで、何故かひんやりしている医者の着物に、涼を求めて頬を擦り付ける。そうすると、やつの手がこめかみから髪を梳くように頭をなぞっていくのだ。何度も何度も繰り返される動作に次第に瞼は下がってゆき、やがて意識は底へと沈んでいった。

次に目を覚ますと既に外は明るかった。

額に手ぬぐいが乗っている。傍らには水が入った桶と、中身が入っていない湯のみも置いてある。それを見て、あぁ、医者だなと咄嗟に思った。大方おれが寝てる隙を見計らって勝手に起き出して汲んできたのだろう。そしてあの不味い茶の作者は医者の野郎ということか。さっきの夢は全くの幻でも無かったようだ。

相変わらず隊の奴らは元気に戦に出ているらしい。声も聞こえなければ気配もなかった。あれこれ心配されるのも性にあわないし、これくらい放っておかれるくらいで丁度いい。

熱はようやく下がり始め、頭痛もすっかり治まっている。

まぁ今日1日くらいは医者の言うことを聞いて寝ていてもバチは当たらないだろう。きっと大兄貴も許してくれるはず。

翌日、復帰したおれは両手の爪で敵をバッサバッサと倒していく。遠くの方に見える蛇骨も楽しそうに刀を振り回しているし、爆発音があちこちから聞こえてもくる。戦場はやはり楽しい。気分よく戦っていても、もう声は聞こえない。頭の靄は健在だが。

こんなとき医者なら”こんなに楽しそうに人を殺すなんて”とボヤくのだろうか。それとも、おれが楽しそうなのを見て何も言わないのだろうか。何としてでも戦を止めるのだろうか。

考えたところで意味は無い。結局おれたちはひとつの身体を共有していても互いのきもちなんて分からないし、分かり合おうともしないのだ(おれは)。おれと、おれたちを邪魔するやつらは殺す。単純で分かりやすい指標だ。

でも。

昨日まではうざったくて消えろと思っていた頭の片隅の靄は、おれが1人ではないことを嫌でも思い出させてくる。医者のおれは間違っても仲間ではないけれど、仕方がない。今だけはそこにいることを許してやってもいいかという気分だった。