民俗学の思考法を読んでいる。最近は何故か、知的好奇心が強く、色んな類の書籍を読んだりしてる。
民俗学の大御所である柳田國男(って、名前くらいしか知らなかったけれど)が「新聞はわずかに一部しか覆うていない」と述べたそうだ。前後の文脈も知らないので、なんともだが、そんなこと言われても当たり前じゃん!!って思った。
そして、ふと思い出した。子供の頃、色んな新聞やテレビニュースでたくさん●●さんが亡くなった、と騒がれていた。だから「大切な人が亡くなると、新聞に載るんだ」とか考えていた。
祖父母が亡くなった。僕にとっては、多分すごく大きなことだった。すごく、可愛がってくれていた(記憶は曖昧だけれど)。けれど、新聞やニュースにはなっていないようだった。
自分の非日常は誰かにとっては日常かもしれないし、知ったこっちゃないかもしれない。誰かにとっての非日常は自分にとっては知ったこっちゃないかもしれない。自身の経験は自分しか得られない。