墓に入れられるどころか骨壷に納められてるだけでも夜毎枕辺に立って顔覗き込んでやろうか???と思うくらい嫌なのに、骨たべられるとかだと多分嫌じゃないだろうなって思ってしまうのはなんでなんだろう。生物(と書いてナマモノ物理)じゃないから、口に含んでもおっけーみたいなこと思ってるんです?でも自分が食べたいかっていうと食べたくはないんだよな、食べられても良いよと思うだけで。その時点で倫理観がお留守だから待とうか。呼び戻せ?どこ行ったの?おとなり?呼び戻せ???
別に仏教徒というわけでもなくかといってほかの宗教を信仰しているわけでもないと思っている、特定の神(崇め信望するものの意)は信じておりません、無産階級者に神はいないので。いやでも神って、逆に誰も救ってくれないからせめて祈って背中を摩って手を握ってくれるものだけでもなくちゃ困るって話かもしれないけど。
で、まあ、土に還りたいよねって話なんだよなつまり。墓どころか壺も嫌。埋めて土に埋めてちゃんと還してって感じ。土に還るのは平等に許された幸いだと思っているので。(宗教色強めの言い方に見えるなこれ)でもまじめな話、土に還れないのって嫌じゃないのか、みんな。死んでるからなんもわかんないし感じないじゃん、関係ないよとか言われるとそれまでなんだが。壺ってつまり焼き物で陶器とかでしょう。土に還らないからまあ基本的にはずっとそこにあるわけじゃないですかひんやりした壺の中に。ひとりで。まあ骨っていっても一部なんだけど、ひとりで壺の中。嫌じゃない???なんで平気なん???わからん、自分がずっとその輪郭というか融けて混ざって有象無象の一部になりたいみたいな気持ちってあの、もしかして、無い??無いのか???えええそんなばかな、そんなばかな???
なんでこんなこと言い出したかっていうと、他所様の刀さに見たりとか創作のネタとか考えててチキチキ海に遺灰をぶち撒けてくれる刀選手権〜をしてて思ったので一回どっかでなんか吐き出しといた方が良いんだろうな〜って判断したのよな。
まあ自分が書く刀さにのサ、基本的に死んだら本丸の座標と一緒に消えるつもりで書いているからぶち撒ける遺灰なんか無いし、墓とか盆とかそういうこう、次に繋げるみたいな意識はまあ希薄でございますのよ。死んだらおしまい。こいつが死んでも世界は変わらない。いつも通り太陽は登り時間は進み、いなくなったことになんか誰も気付かないまま初めから存在しなかったみたいに抹消されます。そういう身の上なので、っていう。
盆っていうていで話を書くんだとしたら大さにのサならいつか死ぬ自分のことを考え、自分と同じように死んだら消える身の上の人間のことを考えて線香を焚くのだろうし、二代目、三代目は代替わりして死んだから刀の記憶に残らない先代サのこと考えたりしながら焚くんだろう。刀は代替わりした前のサのことを覚えてない。覚えてられない。サが審神者として戦った記録とか時間が歪みが質されることで消えるので、歪み(次代や同じ境遇の他所のさにわ)しかそれを覚えていられないみたいな、あれ。大丈夫わすれちゃったら寂しくないでしょ覚えてないから。そういう話。一番ひとの心が無いの、そういうこと言ってるわたしのような気がしてきたな。
でもこの場合は多分肉体は正しく死ぬはずの場所へ〜みたいなことになるから、骨は残らないのかも。死因が病気老衰とかなら焼いて骨にしてばらして埋めるのか、行方不明になったところに骨だけもどされるのか。でも骨に年齢が出るだろうからやっぱり帰れない線が濃さそう。発想が鬼か???