2022年、年の瀬にエアシャカール嬢を入手した私はその後、普通に彼女の覚醒レベルを上げ、普通に彼女を育成した。始めてから暫く経っていたのもあり、少しだけ育成に慣れていたことから気楽に始めた。
結論から言うと、彼女の育成シナリオは素晴らしかった。
勝ち気な天才少女の繊細な苦悩、悪夢、葛藤。頭脳明晰であるが故にネガティブにならざるを得ない少女の逃れられぬ気質を、如何なる時もポジティブにおおらかに慈しむ「大人」のトレーナー。利発で、つっけんどんにしながらも心優しいシャカールは、本人が思う以上に傷付きやすくか弱くて、そのマニッシュな雰囲気に反してあまりにもただのきゃしゃな少女だった。気の荒そうな雰囲気、ドスのきいた低い声、パンキッシュなファッション。そのどの要素をもってしてもぬぐい去れないほど彼女はひたすらに可憐だった。
私はもう、彼女のその有様に尋常でなく惹かれてしまった。そんな彼女を守り慈しみ、彼女をこそ誇りにする、作中でも圧倒的に「大人」であるトレーナーの愛情深さにも惹かれた。自己肯定感の不足した「か弱い」少女と指導者である以前に一人の大人として彼女を慈しむトレーナー。その二人のコンビが作り出す物語のすべてに惹かれた。
物語以外にも、シャカールの容姿があまりにも可憐だった。「うまぴょい伝説」の冒頭の階段を降りるシーンで目立つ、折れそうなほどの華奢な手首。ヴィジュアル系バンド指向の少女のようなマニッシュな髪型だが、ロングウルフヘアに纏められた長い後ろ髪。彼女が身動きする度に、この長い黒鹿毛の髪が黒絹のリボンのようになびく。上背はあるが顔立ちもあどけなく、丸い目に小さな口、生意気そうなツンとした鼻先、蜂蜜色の瞳。生ッ白い細い首。ネコの子のような小さく尖って並んだ歯。ドスのきいた声だと思っていたが、声優さんの名演のためにその声もか細い少女が周りを威嚇するためにわざと低い声を出しているようなニュアンスがある。柔らかくか弱い肌の華奢な少女が、少年のような口を利いて少年のような振る舞いをして少年のような服を着てすましている。もう何と言うか、この全てが堪らなかった。
気難しい彼女を気難しいとも不憫とも思わず、彼女のトレーナーは彼女の誠実な努力家としての姿勢に惚れ込み、彼女を守りながら彼女が運命を克服するよう力を尽くす。日本ダービーを勝利した彼女が歯を見せて小さな子どものように笑う姿を見て、トレーナーは思わず「可愛い」と心中で漏らす。やはり彼女は「可愛い」のだと私も思った。
彼女の歌声もまた可憐だった。これは声優さんの演技が素晴らしく、透き通るような伸びやかな歌声なのだ。集団で歌っていても彼女の声はよく通る。ウマ娘の中で歌声が好きな子はたくさんいるが、彼女もその一人だ。特にシャカールの「GIRLS'LEGEND U」が私は好きだ。他の子どもたちのように目指すべき夢はなく、むしろ悪夢を破るために必死に抗い続け、存在証明のために戦い抜いた彼女には一見あまり似つかわしくないような楽曲。そんな彼女がこの歌を歌うことが(この歌を聴くことができるのがそのシナリオのエンディングなこともあり)色々な経験を経て新たなこれからの「夢」を描く彼女の姿を思い描けるようで、胸が震えるような心地がする。ずっとずっと…とソロで歌い上げるカットでは彼女の声が切なく揺れ、それがまた美しい。
彼女のシナリオはグッドエンディングで、未来を描く一助となるアプリケーションを匿名で提供する彼女を見つめながら、トレーナーは長い長い時間をかけて彼女を見守って行こうと心中で呟く。この終わり方もまた、素晴らしい。どんな活躍をしようが栄誉を得ようが、ある日ふらっと何処かに消えてしまいそうな雰囲気のあった彼女のはかなさを温めるように、「これから」の話をして終わる。
彼女のモデルとなった競走馬は引退してわずか数カ月の後に事故によりやむなくこの世を去っている。そのイメージからか、若しくはその名前の元になった夭折のラッパーからか、その悲痛をなぐさめるように彼女のシナリオは「これから」の話をする。トレーナーは「時間はいくらでもある」という。
トレーナーは、彼女の個別ストーリーで、彼女がいつか独りでは解決できない問題に直面した時、頼れるものがいた方が良いのではないかと考えていた。それは、彼女の自立した一人の女性としての人生がこれからもずっと続いていくことを考えた上での発想だ。今は良くても、いつか辛くなることがあるかもしれない。それは彼女に無理に他人と馴れ合えというのではなく、彼女という自立した個人を守るための手段として他人が必要になることがあるかもしれないという話だ。生きる上で自分を支える杖など幾らあっても困ることはない。それはむしろ彼女の自立に資するものだ。トレーナーにはそういう考えがあるようにも思う。彼女の競技者としての成功のみならず、人生も良ければ長く、つつがなくあって欲しい。そういう祈りが感じられた。
彼女と親しいファインモーションが代表して、有馬記念を終えて目標を達成してふらりとどこかに行った彼女を叱るのも好きだ。誰にも忘れてほしくない鮮烈さと、それと同じくらい「ずっといてほしい」という願いを、公人としての責任強きファインモーションが諭し…あと、ついでに謝らせる。シャカールは育成の三年間で、謝ったことが一度も無い。トレーナーはそれを咎めないし、彼女自身がその聡明さと優しさで仕出かしたことへの罪悪感を持っていることをよく理解して(信用して)いるから特段咎めたりはしていない。しかし、三年間の〆にファインモーションはきっちりそれを叱る。これは、シャカール自身「自分がいなくなること」についてごく自然なことのように何の罪悪感も持っていないため、誰かが咎めなければ彼女自身が自分の「いなくなること」の意味をしっかり知ることはないからだろう。(無意識の自己肯定感の不足が発露している。)そしてその彼女にファインモーションは「ちゃんと」謝らせた。彼女のトレーナーは「彼女も反省しているだろうから」と彼女を咎めたことはない。しかし、それは彼女がトレーナーからして「守るべき子ども」だからであり、彼女の人生がこれからも続くのなら尚更、いつまでもその立場ではいられない。シャカールがまっとうな「大人」になる上で、必要なことの一端が「ちゃんと」謝ること、だったのではないだろうか。自己肯定感が足りなかろうが、生きていくならその振る舞いには責任が生じる。そのごく一端をファインはしっかり教えてくれた。これもまた、彼女の人生がこれからもずっと大人になっても続いていくことを表しているように思う。これもまた、祈りだと私は思う。
私はそれまでは特にウマ娘に関する二次創作をしていなかったが、彼女らの「これから」があまりにも気になって、自分で二次創作をぼ〜んやりと始めた。本当にぼんやりなのでまともなもんではない。
彼女と彼女のトレーナー。彼女とファインモーション。彼女の活躍を受けたファインモーションの未来。気になることがたくさんある。私の二次創作と言うのは憚るような落書きの数々はこういうことをずっと想像するために、自分の考えを吐き出すためにしている。
こういう感情の全部を総合統括した結果、彼女のことをつい「小娘だなぁ」と思ってしまう。愛くるしく凛々しく聡い彼女やその友達のあれこれが少しでもたくさん見られるように、彼女だけでなくいろんな娘の活躍が見られるように、ウマ娘というIPは末永くあってほしいと思う。
課金しよ(使命感)
(了)