一句鑑賞:椎茸や人に心のひとつゞつ/上田信治

衛星間通信
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公開:2025/12/12

椎茸や人に心のひとつゞつ 上田信治

第一句集『リボン』に収録されているが、句集が出る以前より信治さんの代表句の一つとしてよく耳にした。

椎茸は秋の季語だけど、この句を初めて聞いた時に浮かんだのは寄せ鍋の中の椎茸だった。湯気をあげる土鍋の中で昆布出汁にふるふる揺れる椎茸たち。ひと、ひとのリフレインの静かで温度のある響きからそうしたイメージとなったのかもしれない。意味から考えれば、軸付きのすっくと生えた姿がほんとうだと思う。

"心ない言葉"という表現がある。だが実際のところあれらには己の心があることは知っているように見える。無いのは、相手にも心があるという認識だ。自分に心があるように、他者にも心があるということを、一切理解しない、する気もない。そう見える。

椎茸や人に心のひとつゞつ

優しさの句だと思っていた。私だけでなく、そういう人が多いと思う。信治さんのディックブルーナみたいな笑顔やsoftly極まる口調と共にこの句を知ったのなら尚更。

ところがエッセイ『成分表』の、「心がある」の章では、

ただ、今まさにそのことを、あなたが思うことができるということが、心底、気持ち悪いだけで。

と締められ、掲題の句が続く。

ひぇっと思った。同時に「わかる」とも思った。

かつて、電車の車窓から見る集合住宅の灯りの一つひとつの中に誰かが居て食事をしたり何だりしているということを、想像すると怖くなる、と友達に話すと後半でさっとみんな笑顔が消えた。だが、こういう感覚はたしかにあって、見えない所にも"こっち側"と同じくらい複雑で曖昧で煩雑なものがあるという事実は、実感をもってとらえるのは耐え難いのだ。70億人それぞれに固有の心が!? すみません、ちょっと1回気付かないフリさせてもらっていいですか?

そうして改めて椎茸を見る。毛羽だったようなテクスチャも、傘の裏のひだもよく見ると気持ち悪い。そもそも菌糸の集合がこの形を取るというのもなんとなく気持ち悪い。

他人にも心があり、一人ひとりが全然違う考え方や感じ方をすること。それって気持ち悪いし、怖いことだ。けれどもそういうものなのです。一人ひとりにひとつずつ違う心があるのです。だからこの句は、気付きの句であり、戒めの句でもあり、やっぱり優しさの句なのかもしれない。

五月ふみさんの、「好きな俳句の一句鑑賞 Advent Calendar 2025」という企画に参加いたしました。たくさんの素敵な俳句に出会えて楽しいです。ありがとうございました。