収骨のこと

衛星間通信
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公開:2025/10/10

先日、義祖母が亡くなった。その2日後に実祖父が亡くなった。それぞれ90過ぎだったし、自宅で倒れて入院して退院の見込みも無く…という感じだったので、遅かれ早かれではあった。

義祖母は、あの年代の女性はみんなそうだけど本当に小柄で、あの小さい身体でよく双子を産んで育てたなぁ(義母は双子姉妹)って感じで、そしたらなんか骨壷もすごい小さくて!え、こんな小さいっけと思ってたらやっぱり全然入らない。葬儀屋さんのチョイスする骨を拾って入れていって、脚や骨盤の大きい骨は都度、葬儀屋さんが手で割る。この"手で上から押し割る"もなんかイヤだなと思ったし、全部入れないで"残りは斎場で埋葬供養します"も「え〜!?」ってなった。骨壷ちいさくしなきゃいけない事情があるのだろうけれど、火葬台の上にほとんど骨を残したまま、骨壺のほうがおばあちゃんであるとするのは、ちょっと受け入れにくかった。

祖父は96歳の寝たきりの老人にしては大柄で(看護師さん達ほんとに大変だったと思う)、大きい骨壷に大きい骨から入れていったが最初からすごいはみ出た。家族で「じいちゃん、入んねぇよ」と言いながら早めにギブアップして、葬儀屋さんが後は引き継いでくれた。骨壺のなかに擂粉木みたいなのを入れてごりごりやって、骨を拾い集めてはごりごり、いちばん上には頭蓋骨と喉仏を乗せて灰の一粒まで台に残さないように丁寧に集めてくれた。

収骨室の台に移すところは見ていないので、実は集めきれてない可能性もあるし、擂粉木みたいなので骨をすり潰すのが耐えがたく感じる人もいるだろう。だが、私は義祖母の「骨の大半は骨壺に収めないし、入れる骨も目の前でぱきぱき折られる」はイヤで、「金属トレーに移された骨を道具ですり潰しながらすべて骨壺に収める」は有難いなあと感じる。

このあたりの感覚の違いのことをぼんやり考えてる。私は死後の魂とかを信じてないのでご遺体が丁寧に扱ってもらえればそれで良いと思ってるけど、「遺体を丁寧に扱う」にさえ、ずれがある。

互いのベストを尽くしても、摩擦は起こるものなので、だからこそ、まずは互いのベストを尽くせる環境にしようよという話。すべての排外主義にNOと言いましょう。