手遅れになる前に自分に向き合う/「キャリア」について

Cheezaの虎
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大学を卒業してから、社会人を8年経験しているが、いまだに自分の自身のキャリアが見えていないことに危機感を覚える時がある。

高校を卒業した時点で将来像を思い描いて真っ直ぐに進み続ける人もいれば、自分みたいに30代でも何がやりたいのかよくわからなかったりもする。大体な人はそんなもんだろうか?

自分の性格の傾向として、多様な選択肢がある状況よりも、限られた選択肢の中でどうやりくりするかを考える方が得意だったりする。だから数学と物理が好きだった。

しかし、勉強の成績が悪く「お金を稼ぎたい」という安直な考えで文系を選んでしまった自分にとって、社会、人生、人間関係、いわゆる人文科学の領域は答えがないような問いが多くて、多様な解釈、つまり選択肢があまりにも多すぎて何を専門に学べばいいかわからずゼミも真剣に選ばず、ゼミもしばらくしてすぐに辞めた。「商学部を卒業したらとりあえず営業」みたいな感覚だった。

選択肢があることがそもそも幸福なことであるというのは承知なものの、大学を卒業してから何を目指せばいいのかずっとわからないままでいたから、とりあえず半導体関連の大企業での海外営業になった。

真っ当な大企業に入って、英語を活用したグローバルビジネスマンになることが社会的には正しいと思い込むしかたなかった気がする。手っ取り早い思考停止を選択したことで吟味しなければならないあらゆる多様な選択肢から逃げていたようにも思える。そんな思考停止を8年間続けてしまって、人材紹介、日本語学校のスタッフ、人事という仕事を経験したものの、今ドイツで使える経験が一体何かといったら、何一つもない。

これらの仕事で得た経験全てをざっくり1つの文にまとめるなら

「日本の商習慣の中で会社の方針に従いスタッフレベルで適切なアクションを自発的に行っていく力」ということ。

これはネガティブな意味で言ってるわけではない。組織に属する以上ビジネスの推進力に貢献するための基礎能力だし、資本主義どうこう以前に、今の社会で他者から必要とされるためのサバイバル術には欠かせない。

ただ一番の欠陥は日本文化圏から外に出た時に全く使えないということ。

アメリカから日本に帰ってきた12歳の時から、なんとなく海外で生活をまたしたいなと思っていたのにそこから18年も経って海外で生きていく力が英語以外全くないことがとてもとても痛烈に感じる。

自分に向き合わなかったことを今でも後悔している。

なんとなく「これがしたいな」と思い続けてることに蓋をして限られた選択肢の中で別のキャリアを歩み始めると、年齢を重ねていくごとにどんどん膨らんで行ったり、社会と自分自身の生き方と摩擦を生んでストレスになっていく。

人生紆余曲折があるのは別に仕方ないと思う。

ただ、贅沢にも多様な選択肢があるのに、自分の感情から逃げて、インプットを避けて、情報整理を避けて、人生を選ぶのはスマートじゃない。

無知・無謀・無計画だとしても、自分の心に向き合ってやりたいことに真っ直ぐ向かってる人の方が短期的には変に見えても長期的な自己実現の過程においてはスマートなんじゃないか?と思う。

だからドイツに来た。キャリア全部捨てて、手遅れになる前に。これが私が目指していた環境だから、あとは環境に適応していくだけ。