移民をすることについて考えたことがあるか

Cheezaの虎
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今まで日本で生活してきて、たくさんの移民をみてきた。

中国、韓国、欧米からの留学生、ベトナム、インドから出稼ぎ目的でくる人たち、日本語はほとんど話せないが英会話講師として日本に滞在するアメリカ人。

どれもみんな日本に何かしら興味や目的を持って母国から離れて日々を暮らしている人たち。

日本で長く生まれ育ってきた人にとって、その人たちが日本で暮らすことがどれほど大変かはあまり想像がつかない。「違う国で暮らすのは大変そう」という回答くらいはでてくるだろうけど、その人たちの暮らしの中で、心無い態度を取られたりするシーンはたくさんあるだろうなと私はさらに想像する。

2020年コロナど真ん中の時期に、プログラマーを目指していたものの未経験がゆえにうまく就職できなかった自分は、京都の日本語学校で働き始めることを決めた。それから私は「移民」と「国籍」について深く考えるようになった。

日本で生活をしていて、ゴミを外に出したらゴミ回収業者が運んでくれる。税金を払っているから運んでもらえる。その税金は国から納税義務として課せられている。納税義務があるのは日本に居住しているため。日本に居住していられるのは、国籍が日本人であるため。自分が日本人であるのは日本で日本人の親の元で生まれたから。

この国籍が自分の国で生活をしていくことを許されている絶対的な証拠になる。法治国家にいる以上、このルールは人類全員に適用されている。日本語学校で国籍について考えていた時点で「自分は国と国籍に人生が握られていたのか」という大前提に気づいた。

そもそも、自分の命と人生をその大前提に国に握られたくない、もっと自由に人々がいろんな国にいけたらいいんだ!とかいう反対の感情もあったかもしれないけど、それ以前に「国境がある理由」がとってもとっても歴史に知見のある専門家たちがすでに証明してくれてるからそれはもう無駄にあんま考えでおこうと思う。

各国間で条約を結んでいれば条件付きで例外的に国籍とは違う国で生活をしていくことが認められるから、各国間の人の行き来ができる。移民はそもそもこの例外に入ることを意味すると私は認識している。

で、何が言いたいのか?っていうところでいうと

どれだけ自分の今の生活が苦しくても難民でない限り「滞在したい国に頼んで特別にその許可を得る必要がある。」=「許可を得るためにその国に利益を与えないといけない」ことで乗り越えないといけない壁がたくさんあり、日本で見る外国人はそれを乗り越えてきているor乗り越えようとして相当な苦労をしていること。

もちろん、東南アジアから良い生活を求めて日本に技能実習で働きにきている方々と欧米、中国、韓国から大学生として留学しにくる人との間にも大きな壁の違いはある。端的に説明するために偏見を含んだ表現になってしまうけど、前者はより良い生活やうまい話に乗せられて来てしまったりするパターンはあるし、後者は日本文化や伝統、日本特有のアート・学問に憧れてやってくる人が多い。日本語学校でビザを与えるための業務を何百人分もしてきたからこそわかる。

音楽をやっていたり、クラブにいると、人種の平等性やセーフスペースの担保を主張するような意見やステートメントを見るけど(もちろん間違ってないことがほとんどだし、彼らの正義があるから否定はしないけど)、ほとんど後者宛てのメッセージにも見えて、なんだかしっくりこなかったりする。

そこには、結局国家の国境みたいにコミュニティとしての境界線が張られていて、その領域に利益を与えてくれるブランドやお金を求めているんじゃないかと考えてしまう。どこか自分も仕方ないと思ってしまっている部分もあって、情けないとも思う。毎日日本にいていつでもすれ違っていたはずなのに、そこに含まれない外国人を、日本語学校に勤めて初めて触れた。

今ドイツに移民を来て、別に誰も自分が乗り越えて来た環境や感情なんか興味も何もないし、自分が逆の立場でも多分一外国人をみてそんなことまで深く考えないと思う。

ただただ、良い暮らしを求めて、たくさんの財産を捨てて、勇気と覚悟で国境を乗り越えて来た人たちの想いを痛感してきて、今まさに自分がその過程を辿っている。移民をすることについて考えたことがあるか?というのは自分の過去への問いでした。