日本を出ると決めた時のこと

Cheezaの虎
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日本を出ると決めた時、フライト代を浮かせるためにすぐにANA Suicaクレジットカードを作った記憶がある。

当時私は25歳、千葉県の船橋市に住んでいた。京都出身、アメリカ育ちの自分がどうして船橋にいるのかはまた別の話。

日本の会社で働くことに嫌気がさしていた。今思えば、一般的な大卒のサラリーマンじゃなくても働きやすい環境なんかはいくらでもあったとおもうけど、海外で生活したいと想いはずっとあった。12歳の時にアメリカから日本にもどってきてから。

初めての転職、なおかつ大都会での東京でのサラリーマン生活に、大雑把な理想をいただいていたが、人材紹介の会社のキャリアアドバイザーという仕事は想像以上に苦しかった。「人の人生に関われる」という薄っぺらいやりがい搾取の環境が待っていた。

【東京に出てきてもどうせこんなもんか】

と思ったことを忘れない。音楽でたくさんのいい機会や人と出会ってきたが、心から楽しんで、豊かな幸福があったかというとそうでもなかった。根本的に自身のアイデンティティと相反するカルチャーがある、そういう風に常に思ってた。

会社でのストレスフルな1日を終えて、日本脱出の計画をたてた。

30歳までにヨーロッパに移住する。

これを実現する方法は3つ考えられた。

①就職で海外勤務、②音楽で成功、③100万円貯金してまずはヨーロッパに行く。

①は絶対に嫌だった。アメリカから日本に戻ってきて辛い想いが多かったせいもあって、何かと日本の縦社会がある環境は避けていたかった。

②は残念ながら時間が足りなかったし、仕事との両立も想像を絶するハードな環境だった。しかも特に私のジャンルは世間では求められるものでもないし、商業的な音楽に、自分の芸術性を曲げてまでしたくなかった

だから③貯金が唯一の鍵だった。

ただ、手取り21万円、関東住まいの私にとって貯金ができるはずがなかった。平日、会社で受けすぎた多くの屈辱やストレスは、週末に心の反動が訪れる。東京にいるなら音楽、クラブ、ファッション、カフェ・バーといった都会の魅力も味わいたかったし拍車がかかっていた。

ストレスフルな毎日にはそれ相応のリフレッシュコストがかかるということを人生の中で学んだ。

少しでも早くこの目標を達成するために、航空会社のサービスを利用して得られる「マイレージ」に着目した。

ポイント稼ぎを生業とする方には同じみの「陸マイラー」(飛行機乗らなくてもあらゆる方法でマイレージを稼ぐ人たち)になろうと思った。計画をたて始めてすぐにANA Suicaクレジットカードを作ることにした。

ヨーロッパに行くためには少なくとも確か65000マイル必要だった。入会特典やお金をかけずにマイレージを貯めれるキャンペーンを緻密に駆使して20000マイルはトップスピードで稼げた。

若干足りなかったが、韓国はタダでいけるくらいのマイレージ量は3ヶ月で稼げた。初速はいいがその後が地味で、残りの45000マイルは日々のクレジットカードの利用額に対して還元されるポイントで稼ぐしかなかった。

ざっくり100円で1マイルくらいだったはず。450万円を4年かけて使えばいけると思った。あらゆる決済をクレジットカードに変えて年間150万円くらいにはなったから余裕を持っていた。

2年経過し、7割くらいは達成していたと思う。高額な出費、ストレス耐性、ストレス発散機会の探索と欲求を満たす活動を要する都会生活に耐えていた。いつものようにポイントを見たら、なぜかポイントが減っている。

慌てて理由を調べたら「ポイントは獲得後から2年後に失効する。」事実が発覚した。

こんな当たり前のことに気づかない自分が本当にバカだと思った。でもそれ以上に、毎月貯まるポイントを見て海外にいく未来に一歩一歩近づいていったワクワク感だけを頼りに苦しい日々に耐えてきた2年間を振り返って忘れられないくらい悲しくなったのを覚えている。

普通に膝から崩れ落ちた。

誰も悪くないし、むしろただただ自業自得は承知だが、改めて航空会社・カード会社のプロモーションやキャンペーンのバナーが「素敵な未来」を演出しているようなデザインばかりでクソ腹たった。

失った2年間の気持ちを処理できなかった私の脳は、非ロジカルにも「資本主義と日本のせいだ」と悲しさを敵意に変換させてしまい、どんな手法を使ってでも日本から出ることをネガティブ感情

世間では海外移住について夢や希望に向かって前向きな気持ちで挑戦する話が多い中、本当にしょうもないミスによって私だけがネガティブな敵対意識の助長と逃避行動により、ヨーロッパ行きが断固な決意に変わったことを今でも覚えている。