32歳の誕生日。私はいつもより違和感を感じる日だった。
とても嬉しい気持ちにもなれたし、なんだかおかしい感じもする。
11月11日の今日、23時15分、誕生日には何か自分へのご褒美を用意した方がいいのでは、とふと思って仕事を一旦休憩した。
実は今日、ケルンでは最もドイツ最大のカーニバルのお祭りがスタートする日で、「11月11日生まれ」って言ったら「お前はケルンのために生まれてきた男だ!!!!」って言われるくらいケルン市民にとっては激ヤバ誕生日。
朝9時からみんなお酒飲みまくる日で、お祭りソングを歌う声が響く一方で、酒飲みすぎて怪我したり乱闘になったりする連中もいて、今日ドイツ語学校の前にいたら救急車が3分に1台出動していってた。(学校のすぐとなりが病院)
まあ100万人のうち30万人くらいは酒のみまくってるからそうなるよね。
で、カーニバルということでドイツ語クラスでは座学ではなく、みんなで食べ物と飲み物持参してケルンの音楽で飲んで歌って踊りまくる日。毎年2回くるから次はもう飽きてるかもしれない。まあハッピーバイブスオンリーだから別にいいか。
ケルンの歌を一通り歌ったらみんなが、ハッピーバースデーの歌を歌い始めて、歌を送ってくれた。うれしかったな〜。「ケルンのために生まれた男」ストーリーがみんなの記憶に残りやすくて良かったな。
パーティーが終わる頃には、みんなが持参した食べ物がたくさん余って、大体最後まで残って片付け意識が高い俺が持って帰らされるんだけど、俺もお金ないからできるだけ食べ物持って帰りたいんよな。他はみんな余裕ありそうだから遠慮してるけど。(俺より金ない人は、片付けの時間の前に途中で抜ける笑)
だから片付け意識の高さと経済的な余裕は比例しているのかもしれない→だから片付け意識高い金のない俺は毎回パーティー後に食べ物めちゃくちゃ持って帰れてるんか!!!とか、変な発想っていうのか、論理ガバガバなひらめきをして、食べ物拾いながらニヤニヤしてたな。
学校終わって、街中はパーティーしまくってるけど、どうも自分は仕事の締切があって家に向かっていた。正直いうならば、なんとなく「ドイツ語がペラペラ話せない」とか、「ドイツの市民じゃない」劣等感を感じてお祭りに100%の気持ちで参加できない自分もいた。
電車の中で大声でお祭りソングをぶち歌いまくってる若者達による爆音ノイズを聴きながら、背面ガラス3分の1なくなってバッテリー容量オワコンで充電が切れたiPhoneを左手に握りしめて、電車の端っこに座って、通り過ぎるライン川を眺めて今日もまた東に向かった。
ひとたま、喧騒を潜り抜けて家に帰れば、犬と同居人とゆっくり話せることができて、それがいつも小さな幸せである。
そして、LineでもWhatsappでも、一言でも「誕生日おめでとう」と言ってくれる人には最大の感謝、つまり返事を軽くするのではなくしっかり心でその人が私を思い出してくれたという事実を噛み締めながら、「ありがとう!」ということを徹底した。
ライン川、山科の山、鴨川、ハドソン川、どの時代を取っても「あっち側」と呼ばれる側だったな。でもこの先どのサイドにいっても、一人一人の想いをしっかり受け止めることだけは常にできると思う。
現実と喜びの間でゆらぐ人の道。
仕事が一通り落ちついて、時計をみたら23時15分。「俺のシンデレラタイム(?)はあと45分か〜」と思ってもう一度誕生日が最高の日になったのかを振り返って、やっぱり何かが足りなかったから、自分への褒美を与えることにした。
劣等感を抱える自分にとっては長年自分に与えるのが難しかったもの
「ドーナツとコーヒーの時間」。