「モテたい」を考える

shokola
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(試しにpplogに投稿しているものを移植)

「モテたい」ってなんだろうな〜とたまに思っていて、

最近は「異性にモテたい」というより「人にモテたい」という意味に移行していってる気がする。

人からの好印象=モテを得るために人は着飾ったり、良い振る舞いをしてみたりするわけだけど、個人的に男性に「今日の服可愛い」と言ってもらえるより同性に言われる方が嬉しかったりする。これは解像度がポイントと思っていて、やはり男性は自分のテリトリーから遠いせいか認識の解像度がぼやけていて「なんだか今日可愛い」というボヤ〜とした印象の褒めに対して、同性の褒めは「あのブランドの服じゃん。襟の形が可愛い。」のような解像度がハッキリしていることが多く、そりゃより解像度が高い方が嬉しいと思っている・・・気がする。

学術の世界の一般人の「すごい」より、その道の専門家からの「すごい」の方が圧倒的に価値がある感じ。

また、一般的にモテが異性からのが嬉しいのは恋愛対象な性なことが繁殖動物である以上大前提なんだろうけど、同性に比べてより自分を大事にしてくれるのが顕著というか、特別なものとして見てくれて大事に扱ってくれてる感覚というか、向けてくれる視線とかそういうのがあからさまだから大体の場合「異性にモテたい」となるのだろうかな〜

こないだ読んだ本に主人公が1年に1度無理して高いお金を払ってホスピタリティの高いホテルに泊まるのは大事に扱われたいから。と書いてあって、大事に扱われたい欲って確かにあるな。自分が良いものになった気分になるもんな。そして自己肯定感が高まるもんな。モテるとそれが手に入るからな〜だから人々はモテたいのか。と思ったのがきっかけ。

とか色々考えるわけよ。5秒くらいで。