・「味噌を渡したいんだけど」今朝母から電話があった。正月開腹手術をした父は、術後の感染症をかなり心配していた。母からもまだ来なくてよろしいといった雰囲気が出ていたので、私もしばし連絡を控えていた。「病院から指導されて作るごはんは塩っけが足りなくて美味しくない」と食も進まず痩せて弱々しかった父が、ここ1週間でめきめき元気になったらしい。散歩も長い時間できるようになったとのことで、やっと娘に声がかかった。味噌がきっかけとなってGOサインが出た。味噌ありがとう。
・午前中に別の用事を済ませ実家に着くと、父がちょうどウォーキングから帰ってきたところだった。手にはスーパーのビニール袋。中からはたくさんのお菓子が出てきた。じゃがりこ6つとチョコパイ大袋が1つ、あと天ぷら弁当。さすがにたくさんすぎる。。と思ったけれど、私が来るんだとはりきってくれたのが分かった。父はあまり話さないし、子どもの頃たくさんだっこしてもらった記憶もない。人にあまり関心がないようにも見える。
・父の幼い頃はとても貧乏で、人の家の4畳1部屋を間借りして父母兄と家族4人で過ごしていたと聞いた。両親とも働いていてすごく寂しい想いをした。その時母親に買ってもらったゾウのぬいぐるみを父は今も大切にとってある。ぬいぐるみの他にも実家はたくさんの物であふれている。想像だけれど、父は自分の寂しさを物で満たそうとしていたのではないか。若い頃には分からなかったけれど父の幼少期の話を聞いて考えてみて、この人は【好き・大事に想う=物】で表現する人なんだということがだんだん分かってきた。
・母は母でかなりの心配症で、一緒にいると真綿で首を絞められる心地になる時がある。しかしそれも彼女の幼少期の環境に依るものだと知る。酒が入ると暴言暴力が出る父とそれに怯える母を見ていた幼き母の生き残り術は【自分を守る=心配すること】だったのかもしれない。過剰な心配をかけることが(本人にその意識がないとしても)私に対する愛情表現なんだと分かった時には「なるほど!」と納得した。歪んだ愛の形だけれども、私のしてほしい愛の伝え方ではなかったけれども、私はそう理解するようにしている。彼女と自分を遠くで眺めながら。
・とにかく父が元気になった様子が見られて良かった。母も長引く介助でいろいろ疲れたろうと思う。今日は小さな父と母が私の前に姿を現した。背中を静かにさすってやりたい。どうか健やかであってほしいと心から願う。
【20240228_追記】
・Xで偶然こんなポストを見つけた。※数日前最後まで私は無料で読めたのだが、記事は現在有料になってしまっている。
・私の祖父祖母は戦争経験者だ。母の父は戦争で兄弟2人を亡くした。兵隊になって遠い異国で亡くなった。「普段は優しくで物静かな父だったんだけどねえ」と母は言っていた。祖父はお酒を飲むことで抑圧している様々な感情から自分を解放できたのかもと想像する。戦争トラウマ。本当のところは分からない。
・前の世代から続く連鎖の、それ。何かに気づき、はっとする繰り返しの毎日だ。