あなたが仮に猫が嫌いなのだとしてもこの知的で寛容なエイリアンについて記された古今東西の名作を手に取らない理由にはならない。世界中で愛されるこの生きものは文字の上に永遠の命を得、数々の名訳者の手を経てついに海を渡りあなたの心の底で勝手に蜷局を巻いてしまうだろう。
ここで紹介するのは『夏への扉』の他はすべて短編である。また、『跳躍者の時空』のみシリーズものであるがそのほかはいずれも単話で完結する。いつかあなたがキャリーに入れた老猫と共に感傷的な気分で地上を、または宇宙を旅する時の参考にしてほしい。
『跳躍者の時空』-SPACE-TIME FOR SPRIGERS- (1992)
作:フリッツ・ライバー/Fritz Leiber
《あらすじ》IQ160を誇る天才仔猫・ガミッチは確信していた。今はまだ毛皮に覆われ四つ足で歩行する我が身だが、〈馬肉のせんせい〉と〈ねこちゃんおいで〉が毎朝飲んでいる、あの漆黒の液体が自分の目の前に差し出されたとき、自分はきっと人間になる。
自由闊達なスペースオペラで知られるフリッツ・ライバーが紡ぐ天才仔猫・ガミッチの偉大な挑戦の物語。美しいトラ模様の天才ガミッチは生まれながらに天命を知る気高い仔猫であるが、同時に人間を深く理解しているのだ。〈馬肉のせんせい〉と〈ねこちゃんおいで〉は愚かで暗い性根の人間の少女・シシィと生まれたばかりの赤ん坊の世話に追われている。ガミッチは高い知能を有するが故に驕慢な観察眼を発揮するが、人間になった暁には二人を大いに励まし助けたいと彼は心の底から願っている。そして、彼はそれを実行に移した。
今、何をすべきなのか。自分と世界の間に引かれたまっすぐな境界線を冷徹に見極めることができる者を勇者と呼ぶのかもしれない。コーヒーのように苦い挫折を味わいながらも品位を失わないガミッチの幸福を願わずにはいられない。
本シリーズは「跳躍者の時空」Space-Time for Springers、「猫の創造性」Kreativity for Kats、「猫たちの揺りかご」Cat's Cradle、「キャット・ホテル」The Cat Hotel、「三倍ぶち猫」Thrice the Brinded Catの五編から成る。残念ながら2010年に河出書房新社より出版された作品集は絶版となっているが、シリーズを通して一読する価値は十分にある。
『ベンジャミンの治癒』-Healing Benjamin-(2009)
作:デニス・ダンヴァーズ/Dennis Danvers
《あらすじ》年老いて今にも息を引き取ろうとする老猫・ベンを腕に抱えたとき、突如手のひらに力強い鼓動を感じた。ベンは調子が良さそうだった。とても調子が良さそうだった。そして、30年が過ぎた。
猫飼いの誰もが欲してやまない奇跡のような冒頭から始まるが、物語はめでたしめでたしのその先へと突き進んでいく。主人公・ジェフリーは自らが得た力のために命の選択を突きつけられ、その果てに地獄絵図を生み出してしまった。二度と戻らない婚約者を心のどこかで探しながらジェフリーとベンジャミンは旅に出る。
得たものと失ったもの。得たことで失ったもの。繰り返される喪失を作者は自らの痛みに向き合うために書いたという。痛みがなければ、本作が生まれることはなかったのだ。縷々と続く物語は最後に再び得たものによって失われていくが、それはさながら傷跡が消えていくようでもある。
「おやすみ、ジェフリー」
『生まれつきの猫もいる』-Some Are Born Cats-
作:テリー・カー & キャロル・カー/Terry and Carol Carr
《あらすじ》3週間前にアリスンが拾ってきたギルガメシュはどうにも“落ちこぼれ猫”のようだ。テレビの上でのくつろぎ方もうんちの隠し方もわからないギルガメシュを友人フレディは宇宙人だと疑うが―…。
読後は猫へのまなざしが変わること請け合いの明るく笑えるSFが内包する”らしさ”への問い。突拍子もない子どもたちの発想によって突拍子もない真実が現れるシーンでは思わず噴き出してしまうが、考えてみれば”らしさ”とはある場面では個性であり、別の場面では社会性であり、そもそも全く相反する性質を備えていることに気づかされる。
真の個性とは、適した生き方とはそれぞれが見つけ出すべきもので、そのために時には宇宙を移動しなければならない。結局、”らしさ”なんて特訓で身につくものではないのだから。
『猫の子』-My Father, the Cat-
作:ヘンリー・スレッサー/Henry Slesar
《あらすじ》ぼくの父は、とても知的な、上品な、立派な――猫だ。エティエンヌはこの上なく敬愛する父を婚約者に紹介したいと考えたが……。
愛のために犠牲を払える。人も、猫も。
数多くのショート・ショートで知られるスレッサーの非常に短く尊い短編。家庭を持つこと、平和を維持するということは愛がなければ為し得ない。高貴な父猫・エドワードが示した本物の知性と優しさが、いつまでも胸の裡に残り続ける一作。読者はみなジョアンナの最後の台詞に心から同意するだろう。
『夏への扉』-The Door into Summer-
作:ロバート・A・ハインライン/Robert A.Heinlein
《あらすじ》ピートは冬になると決まって夏への扉を探し始める。家のすべてのドアを開けさせ夏へ通じるものが一つもないことを確認すると、失望した様子でぼくを見る。ある年の冬、ぼくも夏への扉――数十年後へと飛ぶことができる――”冷凍睡眠”を検討し始めたのだった。
「その猫は夏への扉を探しているのね」
妻の一言に霊感を得たハインラインがわずか2週間で完成させたという『夏への扉』。そのとき彼の頭脳を駆け回った猫こそ、護民官ペテロニウスこと”ピート”だ。疑うまでもなくSF史上最も有名な猫であり、日本一有名な猫型ロボットの祖でもある。主人公の親友であり勇敢な戦士でもあるピートの大活躍が裏切りに遭い為す術もなくどん底に突き落とされたダンを奮い立たせ、彼は再び自らの手で運命を引き寄せていく。「自分の人生の主人で在り続けるためにはどんな環境にあっても努力し続けなければならない」。この傑作にはそんな骨太なメッセージが仕込まれている。
本国アメリカでの人気はそう高くないようだが、特定意志薄弱児童監視員のおかげで日本での人気は大変高く2021年の映画化も記憶に新しい。名高い古典SFでありつつエンターテインメントに富んだ娯楽大作でもある。笑いも多く洒落た仕掛けも随所に鏤められている。もし未読であれば、ピートに導かれるまま夏への扉を開いてみることを強くおすすめする。
最後に、これらの傑作を日本語で読むことができる短編集をご案内したい。
◇扶桑社ミステリー『魔法の猫』
…『跳躍者の時空』『生まれつきの猫もいる』『猫の子』の他、スティーブン・キングによるホラー短編等も目を引く一冊。
◇竹書房文庫『猫は宇宙で丸くなる』
…『ベンジャミンの治癒』他、地上編・宇宙編からなる純SF傑作集。