人間は変化を嫌う傾向にある。それが良いものであっても、慣れ親しんだものを変えるのに抵抗が生まれる。現状維持バイアスなども呼ばれたりする。
これはUIデザインにおいても重要な要素の一つであると思う。Twitter(現X)でのUIの変更などはプラットフォームの性質上そのユーザの声が投稿として、散見される。
この変更前後において、正解は存在しないと思う。コントラスト比や他のUI要素との兼ね合いによってメリットデメリットは存在しているとは思うが、どちらが悪いと言うのは難しいだろう。この変更が変更ではなく、最初から新しいUIデザインであれば、誰もストレスを感じないはずだ。変更の順序が逆方向であっても同様にネガティブな意見は出るだろう。
これがUIデザインの変更することの難しさであると思う。一度ユーザが触ったものは、やはりこっちの方が良かった。という形で変更を行なって良いものではない。
「iOS15 検索バー」などで検索しても、下に移動された検索バーを上に戻す方法の記事が大量にヒットする。ある程度の大きさのモバイルデバイスでは片手で安定した持ち方をすると画面下側の方がアクセスしやすくなる。この検索バー下側にある方がコントロールが一箇所に集中していて、ページに対する操作が一貫した場所で行えるし、良い変更だろう。iOS15以降で初めてiOS Safariを利用するユーザーで、上に検索バーがある方が良い、という意見を出すユーザはほとんどいないのではないだろうか。
Appleもこの変更に対してネガティブな反応があることを予期していたから、オプトアウトできるようにしたのだろう。iOS15ではSafariから上のアドレスバーを表示、という設定を直接変更できるが、iOS17では設定アプリからしか行えなくなっている。リリース当初はよりオプトアウトしやすくし、ユーザが慣れたら、その設定を推奨しなかったり、その設定を出すなら他の項目を表示したいなどの理由で、設定の動線を遠くしたのだろう。
あくまで例ではあるが、例えばあるサービスで検索するためのオプションを追加した。これは仕様を改善したように思える。検索するためのオプションが増えた都合で、既存の検索オプション項目の導線が離れてしまったり、決定ボタンを押すのにスクロールが必要になってしまう。など、小さなことではあるが、既存の体験に変化を生むことになる。新しい検索オプションを使わないユーザからしたら、メリットは存在しないことになる。
だからこそ、最初が最も重要であると思う。それが今後何年にも渡りユーザに浸透することを考えて作らなければならない。出来が悪いものでも、一度出してしまったら、そこに慣れてしまう。後からより良いもの提供しても、そこにユーザのコストが発生してしまう。技術であれば比較的変更しやすいと思う。バグなら直せば良い、遅いなら早くすれば良い、技術スタックを入れ替えてもユーザに直接の影響を及ぼしにくい。技術は理想を実現し、価値を下げないためのものだ。価値を生み出すのは、デザインであると思う。デザインとは、審美性を指す物ではない、UIデザインだけではない、その仕様を、体験を、設計すること、モノをつくることだと思う。
設計者がVimの操作が使いやすいから、テキストフィールドでVimの操作しか使えないWebサイトを作っても多くのユーザにとって使いやすくはならないはずだ。もちろん、ターゲットによってはそちらの方が適切な選択となることもある。私はモノづくりが好きだから、エゴで作ることも楽しいと思うが、それは他人に押し付けられる物ではない。誰にとって価値のあるものにするかが重要であると思う。
ユーザ一人一人に直接会って説明することはできない。ユーザの言語の読み方向、ユーザが使うデバイス、ユーザがデバイスを用いる環境、ユーザの年齢や性別(統計や生物学などに基づいた特性を指す)、ソフトウェアの特徴、多くの変数を考慮して設計しなければならない。その中でより良い選択をするために、それらの変数を紐解くための多くの知識が必要なのだろう。それはグラフィックデザインだけではないし、HTML/CSSだけでもない。歴史や文化、工学から心理学、全てを知ることができれば良いが、一人の一般人が持てる知識は高が知れている。だから一人ではできないことを実現するために、チームとして組織として、それぞれの専門家がその力を補って、最大限に発揮して、モノづくりをする必要があるんだと思った。間違った選択をするこもあるかもしれないが、新しくものを作るときも、既存のものを変える時も、常に誠実にモノづくりをできればと思う。