230122 朝

shuqku
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久しぶりに出社する。朝の山手線に地獄のような行列ができていた。久々見るとぎょっとした。

電車の中で寛解の定義について考えた。以前は精神的な不調から生活に問題が生じることが多く、かなり困っていた。最近はその「精神」の部分だけを無視できるようになった。すると釣られて不調のことも無視できる。これを私は寛解と呼んでいる。

寛解という言葉を初めて知ったときにイメージしたのは「完治したが運悪く再発することもあるかも」くらいの状態だった。全然違った。広義ではその通りなのだが、狭義だと「生活できる程度には不調が和らぎ、以前と同等または酷い希死念慮が付きまとうこと」だと感じる。

広義とか狭義とかを考えて、狭義に、せまい方の意味ばかりに重きを置いているからずっとこうなのかもしれない。

精神的に全くの健康な人は広義の世界で生きている気がした。