ピンチはチャンス。よく聞く。
「困った局面はシンプルにピンチでは?🤔」と思っていたが「ピンチは培った力を魅せるチャンス」なんじゃないか、とふと気づいた。
普段生まれないその断絶にこそ、培った力を魅せるチャンスがやってくるのではないだろうか。
でもそれは「用意してた人」にだけ訪れる秘宝なのだろう。
成果が能力を証明する
成果を出すと他者から能力だと見なされる。つまり、一定ラインまで行って人に認められるラインに行かないと能力があるとすらみなされない。
とはいえ、一回目はチャンスが来る。
例えば、友だちが作ってくれたケーキが思いの外美味しかったらまた食べたくなる。次は頼んでホームパーティーに持ってきてもらうかもしれない。
でもあんまり美味しくなかったら…?引き続き頼むことはないだろう。本人からのアピールがあっても…。辛いのでこの辺にしよう。
つまり、1度目のチャンスで他者の期待ラインを超えなければ再度依頼が来ることはない。本人の周りにチャンスがあったとしても能力としてみなされてなければバッターボックスにすら立てない。
これが、いわゆる"期待値"ってやつなのだろう。大切なものは良いものが返ってくるだろう人に頼むのが人の性(さが)だと思う。私もそうするし…。
しかし、これは一度目をミスった人に"挑戦しろ"すら訪れないことを意味する。辛い…。
人は悔しさをバネに成長する
人は悔しさをバネに出来る。臥薪嘗胆。出来るまでその悔しさを胸に頑張れる人もいる。
普段から少しずつトライしていく。自分が今居る場所で矢面に立つチャンスがもらえないなら、もっとゆるい文脈で試してみる、挑戦してみる。
そうやってコツコツと堆肥した力は決して裏切らない。
でも、本来的に発揮したい局面で出す場面がない。それは悲しいことだ。
ピンチは用意してた人のチャンス
そこでピンチだ。いや、本来的にはピンチなんて来なくていいのだけど、不意に訪れるものだ。
ピンチのときは、とにかく「正常に戻す」「期待する状態に変える」ことが必要になる。いわゆるトラブルシュートである。
これが出来る人は相応に解像度が高い。現状を壊さずに期待通りの状態に変えられるのだから。
ピンチは日常に訪れるひび割れのようなものだ。そこに事前の期待値なんてものはない。
だからこそ、コンクリの破れ目から生えている雑草のように、周りが思ってもみない実力を魅せるチャンスなんだろう。
もちろん、そんな力、一朝一夕では手に入らない。日々の鍛錬で成しうるものでしかない。
ピンチに訪れるチャンスは、それを想定してる人間にしか訪れない機微なものだろう。
ピンチは用意していた人にとって培った力を魅せるチャンスなのだ、と気づいた。