能力成長の分野で「コンフォートゾーン」という有名な概念がある。
引用 : https://soccermama.jp/node/3598
つまりは安心感があるうちは学びが少ないという理論である。慣れは安心感を生む。つまり、毎度同じことをやり慣れたことを安心感を持っているうちは成長に繋がらない。
一方で、恐怖を感じるほどのことは学びが少なくなる。未知には恐怖を抱くし、全く達成イメージが持てないものも恐怖を抱く。つまり「あまりにもわからない事柄」に向き合っても学びがさほどない。
「ん?線引きむずくないか?」と思った方は勘が良い。攻めないと学びがないし、攻めすぎると学びがない。その間をバランスよく攻める必要がある。
継続的な成長のためには「ギリギリちょっと快適でないこと」を続ける必要があるらしい。
コンフォートゾーンの概念を知ってからずっと中間を攻める方法を模索してきた。
ようやくコンフォートとラーニングのちょうど境目を見つけられた。
その一つは
コンフォートの中で得た力を全部出さないと倒せない敵との遭遇
だろう。
接戦が学びになる
これまで得た力を総動員するとちょうど倒せる敵との遭遇と戦闘経験が学びを生むとしよう。
その敵との戦いは一定の安心感がありながらもちょうど倒せるか倒せないかハラハラする程度の戦いになる。つまり接戦である。
これまで培った力を統合し、結集しないと勝てないのだから集中力を要する。エネルギーもいる
振り返れば接戦だったと思えるほうが学びが多い。その過程で起きる反応ももちろんそうなのだろう。
それ以上に、これまで集結できなかった能力を一度結晶化し、戦いの場に乗せたこと自体に価値があるのだと思う。
一度結晶化した能力は、似た場面で似た出力で再生・再現可能である。故に次からの類似した戦いはコンフォートになる。
どのジャンプ漫画を読んでも必ず能力開発と初回発動がある。その後は当たり前に使える。
波動拳、念、始解、領域展開、型。全部「これまでの総力の結晶化」を踏んで接戦を経ている。そして次からの戦闘では当たり前に使っている。
ポケモンジムでレベル上げしすぎる問題
じゃ、ラーニングに向かう上で何が問題なのか。何が接戦を妨げるのか。
1つは、不安によって戦いの前に必要レベル以上に上げてしまうことだろう。ジムリーダーバトル前に無限に同じ草むらを駆けずり回り、ワンパンで倒せるまでレベル上げをしてしまうようなものだ。
接戦と一時の負けを許容し、対策を練って再戦を申し込む。そして接戦の末、勝つ。さっさと次のフィールドに行ける。
憧れの「…!戦いの中で…成長している…!」を目指さなくていい。大抵、初戦は負ける。でも傾向というデータが手に入る。
アンパンマンだって毎話バイキンマンに一回負ける。彼は人を頼るのが上手いので活路を見出して再戦は大体ワンパンで勝つ。
アンパンマンは愛と勇気以外にも大切なことを教えてくれる。それは「不安を認めて、トライする勇気を持つこと」である。
最初からジムリーダー、伝説のポケモンに行くのも違う
一方で、1人爪を研ぐ時間も必要である。そのへんのザコキャラさえ倒せない状態で、ジムリーダーと接戦は出来ない。
また、道具もキャラも揃ってないのに伝説のポケモンを捕まえられるわけがない。後から「一度しか戦闘できないレアキャラ」だったことに気づくのも遅い。
それは勇気を超えて無謀である。
飽きの一歩手前で接戦を求めに行く
だから「もう今の周りは割と余裕、飽きてきた」と思う一歩前に接戦を求めに行くと良いのだと思う。
こいつは本気出さないとまずいな
みたいな状態を自ら作る。もしくは否応なく来る。その不可避な状態が自分を成長させてくれるのだな、と思う。
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何故こんなことをわざわざ書いているかと言うと3プロジェクトの実行が2週間に寄ってしまい、個々の実行は難しくないものの時期が重なるときついシーンが来たからである。
単発ならよしなにできる事も並列化すると、結晶化せざるをえない。それぞれはコンフォートでも、まとまるとラーニング〜パニックの近くに来ることがあるのだな、という学びがあった。
思えばそういうケースが来る場合は、恐怖の前に恥が来る。「みんなの前で恥をかきたくない」という思いが、快適の壁を超えて勇気の代わりを果たしてくれる。
理由はなんだっていい。昨日より、ちょっと善くなっていれば御の字なんだから。
メモ。