まあ1年くらい、ずうっと描けなかったわけなんだけど。
いやその間にも「描けた」って思えるのはあったんだけどね。デイリーらくがきの延長でうまくできたと思えるものとか、実際にお渡しさせていただいたものとか。さすがに実際にお渡しするのに「駄目だ」なんて思うもの渡せないし、私自身許せないしね。
それ以外の「自分のための水彩絵」がずっとうまく描けなかった。
なんとなく描いても明確に「この絵のこの部分が描きたい」「この部分が楽しみ」「ここうまく行った」とか、そう思える部分がなくて、気づいたらつまんない絵ばっかスケッチブックに量産してた。
で、そういう絵って見ても自分で「描きたい」って思えない、色を置きたいと思えないから、どんどんボツにしていく。とりあえずで描いたものは、とりあえず色を置くまでに至らなかった。まさしく「生まれる前に死んでいく」ような。
そうして何冊も何冊も、自分の好きな水彩紙のブロックをだめにした。描いて、だめだと思って、切り取って、描き直して、まただめで。水彩紙も役目を果たせず、パレットに出された絵の具もその役が十全に来ないまま、量産された「つまんない絵」は積み重なって行った。
好きで始めた事が、なんとなく続けているようになって、紙も絵の具も絵筆も、どんなに素敵でも私が扱えなくなっていく。触れられなくなっていく。残っているのは、そうしたボツの絵とらくがきだけ。
これまでの間、正直フルデジタルに移行しようかとも思った。コスパ良いし、かさばらないし、アナログみたいに一色にお金を出さなくてももうあるし。手早くかけて色も素材もペンも全部あるし。
でもできなかった。やろうとして「趣味の時間」ではなくて「作業の時間」になりかけていることに気づいたから。私がほしいのは、続けたいのは、「趣味の時間」で、「作業の時間」であれば絵じゃなくても良い。それこそ趣味の物のデータベースなりなんなりを作ったりして「作業」に当てればいいのだし。
そうしてデジタルはデジタルで、これまで通りの付き合い方をすることにした。ラフを出したり、かきとめたり、らくがきをしたり、たまにしっかり描いてみたり。私は今の大多数の絵描きさんたちのようにフルデジタルができなかっただけで、それは付き合い方の問題だしね。良し悪しとかでは全くない。
ぐるぐるして、気づいたら2023年が終わっていた。積み重なった紙と、からっぽになったブロック紙の表紙と背表紙、そして最後に触ったのも思い出せない数多の絵の具たちに、役目を忘れていそうな筆たち。
それらをほうっておくのは、やっぱり嫌だった。
ここまで人生を共にしてきて、それを生業にはしないがいなくてはならない物たちを放置して、どんどん私が止めてしまうのが嫌だった。
だからとりあえず「再始動」しようと思った。
とりあえずパレットを洗って作り直して、絵の具の点検をした。案の定駄目になってしまっている絵の具もいた。筆も一本、諦めきれなかったのを買って迎えた。
そして絵も、幸いにもボツにしてきた中に、一つだけ「これは描こう」と思って切り離さずに取っておいた絵がある。それが今描いてるこの絵。
昔の絵のリメイクだった。
狐と格子と花と24色相環をテーマにした連作。その一つ。これは赤で椿がモチーフ。
とりあえずこれを清書出来ていないところを清書した。
そして昔の絵のリメイクで、もうひとつやろうと思っていたものがあったのでそれも描き出した。そうして私が絵を描いてる中で、「楽しい」以外に何を核にしていたかを思い出した。おっせえよと言いたくもなる。なった。言った。
「自分を喜ばせる事」
これがずっと埃をかぶって奥底にしまわれていて、最後に開けたのも思い出せないくらいになっていた核。私の絵のターゲット層。
そしてこれは今「昔の」自分がターゲットになっていて、昔の絵のリメイクは「クオリティに満足していなかった昔の自分」を喜ばせる事になる。
これ面白いのがさ、そうして自分に贈る絵が決まってうまくできたって時、なんとなく「つまんない絵」じゃなくなる気がするんだよね。現に今描いてて楽しいし。時間も忘れて描くのが久々なのがまた嬉しくて。諦めなくてよかった、絵を失う恐怖に墜ちなくてよかったって心底思う。
もちろん単純にリメイクしたかったというのもある。他にも多分細々した理由とか、多分砂みたいにいっぱいある。けど
「やりたかったモチーフのリメイクを」
「昔の自分が喜ぶ事ができて」
「それらを楽しいの感情で覆える」
というのがとても嬉しいので、多分それでいい。
向き合い方の正解なんて誰もわかんないもんね。絵でも人でも物でもなんでも、手探りで考えて探って試していくしかないんだし。
そうしてなんとか「描く楽しみ」を思い出せて嬉しい気持ちでいっぱいなのです、今。
なんで描けないんだろう、下手くそだ、頭が悪い、パフォーマンス性もないエトセトラエトセトラ。沢山よぎったし考えたし、だからこそ自分は描かなくてもいいんじゃないか、とも思ったけど。でも「私」は自分で描きたいし色も置きたいし、手放したくもなかったから、とりあえずまた絵と一緒に人生過ごせるんだからこれでいいと思う。
ないと死ぬわけじゃないけど、ないと彩りが消える。それが嫌というだけの理由で、趣味の絵を手放せない。これからもまだ人生一緒にいたいので、手探りでも頑張っていこうと思います。