友部正人に感じるベテラン歌人感と豊井さんへの連想

silossowski
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公開:2024/6/24

 おいしいピーマン誘って友部正人のライブに行ってきたのだけど、すごく良かった。

 友部もなんだかんだけっこう年取ってるし(1950年生まれだから74歳か)、去年病気して入院もしていたし、さいきんの友部の活動どうなってるのかなと思ってググったら、ぜんぜん普通に精力的に活動していたし、ライブの予定見たら、ちょうどその週末に吉祥寺でライブが予定されていて、入場料5000円だったのでちょっと躊躇したのだけど、この先しばらく東京での友部のソロライブは予定されていないみたいだったし、しばらく観にいってなかったしで行こうと思ったんだけど、なんか自分一人だけだと「お金節約しなきゃだし…」とか直前で日和ってしまいそうだったので、おいしいピーマンを誘って、気持ちに弾みをつけることにした。

 今回のライブは「レコーディング・ライブ」という、レコーディングを兼ねてライブを行うというもので、「ライブ盤」とかともまたちょっと意味が異なる感じで、レコーディングを兼ねているわけだから、セットリストはほとんどが新曲ということで、要するにほとんどが知らない曲ということです。

 ライブ観に行くのは、やっぱ自分の好きな曲が生で聴けることが魅力のひとつだったりして、知らない曲ばかりだったらひょっとして退屈するんじゃないかとかも心配したのだけど、今回は弾き語りスタイルではなく、ピアノやらドラムやらベースやらエレキやらのバンド編成で演奏が行われるというもので、レコーディングだからそうだよねと思うのと、友部正人のバンド編成のライブは見たことがなく、バンドが入っていると友部の歌は更に良いんじゃないかという期待があった。

 自分も友部が好きではあるけれど、新譜を追い続けるような熱心なファンではないし、それこそ代表曲とかぐらいしか知らないから、現在進行系で新曲を出し続けている友部のライブの場合、どっちみち知らない曲が多かったりはするから、まあ。

 ちなみに今回誘ったおいしいピーマンに関しては、友部のファンとかでもないし、友部の曲はほぼ全く知らない状態で、むしろおいしいピーマンが退屈しないかとかはちょっと心配したけど、まあいいかと思ったけど、でもどうだろうとは思った。(杞憂だったのだけど)

 で、ライブ始まったのだけど、やっぱり期待通り、バンドが入ってると超いいというのがあり、グルーヴ感で否が応でもテンションが上がるのだけど、それだけじゃなくて、友部の歌声が楽器に負けまいと、弾き語りのときよりもさらに大きくパワフルなものになっていて、正直なところ、もうトシだから声出なくなってるんじゃないかとか不安に思っていたのだけど、全然そんなことないし、なんなら若返ってすらいないかとも思った。

 ていうかやっぱり、もともとストリートでやってた人だからか、歌声がよく通るし大きい。

 新曲がほとんどということで、要するにわりと最近作られた曲ということで、歌詞がどんななってるか気になるところだった。

 べつに知ってる人が多いと思うし、自分より詳しかったりもすると思うからあれだけど、一応説明しておくと、友部正人は詩人としても活動していて、現代詩手帖とかにも載せてたりするし、句会も毎月参加しているみたいだし、要するに歌詞も楽しみな感じというか、いま友部正人が何を考え、何を歌っているのかが気になるところだった。

 べつに友部が詩人であることを特別意識しながら聴いていたわけでもないが、(わたしが短歌やってる人間だから短歌に例えていくが)なんというか「ベテラン歌人」という感じがした。

 一曲のなかでもっとも重心を乗せるべきフレーズを繰り返したり、あとは曲の結句にあたるところでキラーフレーズを出したり、二物衝突をさせてみたり、やはり詩歌の人だなあと思う。

 今回は演奏されなかったが、『はじめぼくはひとりだった』という曲があり、好きな曲なのですが、4分〜5分ぐらいある曲のなかで、ひとりで孤独にいることの幸福をひたすら歌い続けるのだけど、最後の最後に14音だけ「そしてはじめて 寂しさを知った」と歌って、歌の内容を全部ひっくり返してしまったりもする。びっくりする。

 友部正人の良い歌詞については無限にあってキリがないので各自『一本道』『まるで正直者のように』『まちは裸ですわりこんでいる』などをググっていただければいいのですが、新曲についてもどれも歌詞がすごいと感じたし、これまでは、わりとハッキリと批判意識とか、政治的なメッセージだとかが入っていたりとかする感じもあったのだけど、なんというか、天然ボケっぽいタダゴト歌的な歌詞だとか、あとは日常詠的な歌詞が多い印象だった。

 特に衝撃的だったのは、『小林ケンタロウのいえ中華』という曲で、「小林ケンタロウのいえ中華」という本に載っているレシピでホイコーローをつくるという歌なのだけど、レシピ本の内容をそのまま歌詞にした部分があったり、それをつくることで家族が喜ぶということをやたら細かく説明したりしていて、「こういう歌詞ってアリなんだ…!」という感じだった。「小林ケンタロウのいえ中華」(レシピ本)を買いたくなりました。

 短歌で例えると、結社誌の巻頭とかに載ってるその結社の主宰者や選者の月詠という雰囲気で、こう、作者の近況が詠まれている感じ……というイメージなのだけど、わたしは結社入ってないので間違ってたらすみません。あとは奥村晃作の「目覚めの短歌」とかみたいな。

 2013年に出たアルバムでは、ちょうど震災のあとに作られた歌が中心だったこともあるだろうけど、もっと原発政策への意思表明や、政府へのやるせなさが込められた歌詞が目立っていたのだけど、今回のライブでは、大ベテランの域に達した際に、歌の内容が変化していく編年体を感じたりしたし、こういうのってやっぱりあるよねと思ったりもした。

 『小林ケンタロウのいえ中華』に続いて演奏された『ポテトサラダ』は「ポテトサラダを食べに来ませんか」という歌詞と「東北では列車にクマがはねられて運転見合わせになることがある」といったようなことが二物衝突の感じで繰り返され続ける歌詞で、パンク調でめちゃめちゃグルーヴィな曲なのですが、自分は俳句あまり詳しくないので、二物衝突の意味が違ってたらすみません。でも俳句や詩歌の技法が入っていると思う感じの歌詞だと思いました。そしてアップテンポで激しめの曲調なのに、結局「ポテトサラダを食べに来ませんか」ということを言っているだけの曲で、「なんだこれは」という感じがあり良かった。実際に友部正人の作ったポテトサラダが振る舞われたライブが数年前にあったらしいです。

 曲名は忘れたけど、「大阪でかいた汗が新幹線内で冷えて仙台で塩になる」という歌詞があり、おいしいピーマンが「自分がこれを思いつけなかったのが悔しい」というようなことを言っていて、確かに、いかにもおいしいピーマンが言いそうな微妙に気色わるい認識で、納得があった。

 ほかには再開発で変わっていく渋谷に対して「僕が死んだ3年後の景色」と言ってみたり、作者の体感がそのまま詠み込まれた歌詞や、あとは歩きながら認識したものを認識した順にそのまま歌っていくような歌詞だったり、そのへん短歌のような味わい方で聴きました。

 最後、アンコールでは友部正人の代表曲である『ぼくは君を探しに来たんだ』が演奏され、バンドの力強い演奏と、これもうマイクなくても会場中に響き渡るだろ。みたいな全身から振り絞るような友部の歌声で、前の席の人が泣き出していた。気持ちがわかる。

 今回はレコーディング・ライブということで、まだ演奏し慣れていない曲もある感じなので、出だしで友部がミスって一旦止めてリテイクした場面もあったのだけど、これはこういう場でないとなかなか見ることができないものだなと、それもうれしい気がした。なんか神聖かまってちゃんの『夕方のピアノ』のイントロみたいな。

 友部正人は全国をライブで回りながら、旅のなかで歌を作っている感じがあり、旅に関する歌詞もやっぱり多いのだけど、そのへんはさいきん、豊井さんが旅をしながらドット絵を作っているような状況を連想したし、なんというかそういう境地みたいなものがあると感じたりもした。

 あと、プロなんだから当たり前といえば当たり前なのかもしれないのだけど、バンド演奏が超うますぎてびっくりした。プロの中でも特に上手い人が集まるとこういう感じになるのか、と思った。

 レコーディング・ライブなので、これがそのうちアルバムになってリリースされると思うと待ち遠しい。新人賞発表号ぐらい待ち遠しい。

@silossowski
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