深夜の怪文書――劣等感駆動人生

silviase
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そもそも文章を書くことが嫌いだ.何かを根気強く続けることが嫌いだ.自分を律してどうにか頑張ることとか,正直言って反吐が出るほど嫌いだ.こなれて綺麗な文章を書けるその能力が嫌いだ.だってそれにどうしようもない劣等感をおぼえるから.PvPで死体蹴りしている時間がめちゃくちゃに楽しいのは自分も若干感じるときがある.将棋とかいう相手が眼前にいるのに殴りかからないスポーツをしていると,ふと目の前の対局相手を見ることになる.相手の表情や何某かからその戦況を明確に,そして冷酷に伝えるものである.特に素人同士の場合に限るが.上手な人はなんでも平坦である.私はそこまで上手ではないので,奨励会にも入れずじまいであった.

話が散らかっている.この話なにがしたいんだっけ.

私が人生を生きている原動力のおよそは劣等感に苛まれているからである.

正直言って人並みにできることの方が自分は少ないのではないかと感じることが多い.人より何かができる・できないで比べている時点で,とか楽しんでいれば自然と,とか.そういうことは聞き飽きたし,それをやれる人がやっていればいいんだと思う.もう根本的なところで分かり合えないというのがはっきりしている.そういったEnthusiasmの中に私はおそらく生きていない.

周りに文章が上手いひとがいた.その人の語り口や何もかもを真似た.直筆で書かれたものがあったので,筆跡すらトレースするようにした.贋作のみができた.とんだがらくたが生まれたものである.頭の中身はそう簡単には変えられず,その人とは違って残念なままだったわけだ.そこからしばらくは,その字を書きながら苦い思いで過ごすことになった.無事数ヶ月でもとの字に戻った.災難だった.

「"本当に楽しいこと"に出会っていない」.

よく言われる.その『本当』ってなんだよ.その評価おかしいだろ.その『本当に楽しいこと』は熱中するほどのものであると定義するものなら,それはもう本当ではない.勝手にゴールラインをずらされているだけだ.レズビアンの女性に「本当」の…いや,これ以上は止めるが.そういったものと思ってもらって構わない.私はきっと「そういった類」の人間で,そうでない人もいるというだけのことだ.ただ分かり合えないだけで,私は「そうでない人」の存在は認めるし,存在しても良いと思っている.わかり合いたくもないが.

博士課程に進学した.

極めて消極的で打算的で,私はおよそこれからの20代中盤を生きていくに値しそうだなあと思ったから,よくわからない教育カリキュラムの中で足掻いて,踠いてなんとか博士号とかいうのを取ろうという気になったわけである.決して,世の中の真理を明らかにしたいという野望とか,この分野が好きすぎて気づいたら残っていましたとか,そんなわけない.いたら幸せ者かよっぽどのバカかその両方だと僕は決めつけている.

生きる効率も悪い.

私でいえば,時間あたりの生産性なんてクソみたいな数字にしかならないと思う.だからオールインする.躊躇なく自分の人生をベットできるのは自分の存在が軽いからである.捨てようが何しようが,どうって思うところがないし,特段守るようなものも今のところ,これといってない.体調が崩れようがどうでもいいので,なんかやっておくかとなればやる.やらないときはとことんやらない.脳みそがシャットダウンする.全てがグレイ.Goサインも,とまれも指し示さない.曖昧な時間を過ごし人生を浪費している時間も多々ある.灰色の人生といえば,私の世代ではある人間にいきつくわけだが,彼のように聡明ではないし,周りに楚々としていながらも「私,気になります!」とモチベートしてくれる人間は居ないのである.悲しい哉.このあたりの自分の怠惰さはメンターが一番辟易しているところなんじゃないかと思うんだが,仕方あるまい.なおそうとは思うが,どうにもどうにも,という感じだ.業績だって人並みにしかならないのはそういうところがあるんじゃないか.毎回だいたい一回はRejectを食らっているし.正直,自分の効率の悪さとか,先の見えなさとか頑張れなさとか,どうしようもない欠陥はインストールされていると思う.

これから.

どうせ私の劣等感駆動の擬似PvP人生は続く.勝手に自分のスタッツに絶望する日々が続くし,鬱は続くし,そうは言っても3年はすぎていく.現にNLPの準備をしてACLに論文提出してNLPに出て卒業旅行をしていたら四半期が終了した.人生は何も進捗していない.周りが就職した.研修で大変そうだ.彼らを横目でみながら,その社会性の高さを羨んだまま生きていく必要がある.ないものねだりという言葉が正しいのかはわからない.とりあえず自分がやって面白そうだと感じたものをやって,たまたまいい感じであればいいなとなるまで試行するだけだ.それくらいの時間はきっとあるはずだ.下手に照準を定めるのはやめよう.とか考えながら,銃身にこめる弾を探している.

また駄文が生まれた.エッセイなんて到底人に見せるものにはならない.