振り返りとその他愚痴 2023年 2024年 抱負未満の何か

silviase
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現在時点(2024/01/22)で,研究も進まないしとりあえず内省して時間を溶かすか,などと自分の率直な心境だったりとかを書き起こすことにした.深夜に書いた文章なんて碌なことにならないのは目に見えているし,自分のお里が知れるような文しか書けないのは分かりきっているが,このブログ然としたものはそもそもそういうインターネットである.駄文を読みに来ている人間に駄文を提供するのだ.これも需要と供給かと正当化する午前1時.

結論からいえば,採用されると思っていた某企業に採用されなかったから決めたD進である.電話をうるさい外で受けたりするからそうなる.内定を蹴ったりするからそうなる.諸先輩に相談したのだが,これが決定的な人選ミス,もとい,私が自分の人生を曲げたところなのかもしれない.博士課程を出た,あるいは在籍中の先輩に相談をしたらそりゃ「博士に行け」と言うだろうよ.まだ企業への推薦という道も残っていたはずなんだがなあ.無論,諸先輩がたには一切の責任はない.これは私の人生であり,私のプレイ方法に口出しはするにしろ実際に操作するのは私であるから.

DC1は採択されなかった.その理由は時期の都合が悪く(とはいえ,これも言い訳でひと月ほどあったのだが)提出しなかったためである.しかしながら,僥倖なことに生きながらえることは出来そうである.全てに感謝.ここまでが5月のことである.

同じような時期にACLも不採択を喰らった.あーあ,という気分でこの世の八割くらいを憎んでいたと思う.定例の面談で博士進学の方向性を話した.私の気分の浮沈の特性の話と「博士号を取ること」を目的とした進学は辛いという話をした.あまりにもその通りだった.ボスは僕のことをよく知っているなあ.まあB4でも一悶着あったので,ある程度の理解はしているはずだ.

EMNLPには指摘されたことを少しばかり改善して臨んだ.結果的に採択されたが,Findingsだし,なんだか自分の研究は酷く矮小に見えるし,今でもあまりいい仕事をしたとは思えない.多分これから思うこともない.自己肯定などというものは存在し得ないのかもしれない.

まあ,M2の時期だしこれから特にやることもないので研究を続けようと思い立ち,インターンシップをすることにした.人々は修士論文の研究をしているし僕もそうするべきだったが,どうにもやる気が起きなかった.たまたまTwitterを眺めていたらVision and Languageの案件が流れてきたのでインターンを申し込んだ.OMRON SINIC Xという会社である.トントン拍子で話が進む.これが就活だったらどんなに僕の人生は平坦だったろうか.

橋本先生をはじめ,いろいろな方にナニモワカラン…と言いながらも最後まで面倒を見ていただいたのは感謝の一言に尽きる.まだ越後湯沢には行ったことがないので,行ったついでにビールを奢ってもらうつもりである.もちろん醸燻だ.ここでありがとうの前払いをしておくことにする.

夏場は確かYANSだったり関東合同研究会だったりで,ある程度研究のモチベーションを上げられた時期だったと思う.ただ準備不足でYANSに出すことはかなわず,結局ちゃんとした研究になるにはNLPまで期間を伸ばしてしまったし,大幅に路線変更を余儀なくされた.その上,結果はあまり伴わなかった.Slackを眺めたら,10月ごろまで既存のアイデアに拘泥していて最悪になっていた.ただ,そのうちの一つのアイデアをベースにNLPに出したわけで,全くもって無駄かというと99%くらい無駄だったわけだ.良かった.

秋口は本当に何をしていたのかわからないが,気づいたら時間が過ぎていた.多分CVPRに向けて頑張っていたはず.そういうことにしておいてほしい.まあ良かった.GPT-4が登場したのもこの辺りで,Vision and Languageの方でもモデルが沢山出て困ったなあ,と思っていた頃だった.

あとフリーレンのネタを擦ったらNLP人類に刺さったらしくちょっと伸びた.割と驚いた.せいぜいウケても100favくらいだろうと思ったので.

そういえば2023年は野球をよく見ていたと思う.横浜主催試合はほとんど(現地ではないが)見ていたはずで,躁鬱のような各駅停車の打線をぼんやり眺めながら自分に重ねていたのかもしれない.夏場に湿る打線には勘弁してほしい.

冬になってEMNLPに行った.つくづく自分は行動力の欠片もないし,何かに向けて努力を続けられる人というのを自分は羨んでいたのだと思う.色々な人と話したが,劣等感に苛まれることも多かった.周りは自分よりさとい人たちであろうと思ったし,自分がひどく矮小な存在に思えた(二回目).ポスター発表で質問したりはできるが,まあその程度だ.なんらか未来につながる重要な種まきの期間を無意に過ごしてしまったようで,帰国した翌日インフルエンザの高熱にうなされながらそんなことを考えていた.よく大人と話したEMNLPだったなと思う.学生が子どもというわけではないが.

クリスマスになってようやくNLP2024の実験やら執筆やらをはじめた.無事投稿はしたが,年末年始とクリスマスは私には存在しなかった.元からである.数往復のやり取りで,自分の未熟さをひしひしと感じながら投稿のボタンを押した.typoが提出後に見つかるのは本当にどうかしていると思う.

なんとか執筆が終わったのはひとえにどこか(神戸)に行きたいという心持ちと,何か頑張っていないと自分は消えて無くなってしまうんではないかという焦燥があった.あった,というか,ここ最近は燃え尽きと焦燥の繰り返しの日々だ.メンターにも心配されたが,私はずっとこんな感じでなんとかやっている.心配しないでほしい.ダメだったとしても私の人生なので.

今もなんでこんなものを書いているんだろう,その時間があれば何かもっと生産的なことができていたのではないかと思ったりもする.実際そうであって,私は非合理的なことをすることを好むのかもしれない.浪漫だ.そんな訳はない.人生における浪費は,程度は違えど自傷行為と等しいのかもしれない.肩が凝ってきたので抱負でも書いて締めくくる.

本年の抱負は,D1を過ごすことである.は?

つまり,世で言う一般的な博士課程学生を全うするということくらいに留めようかと思う.わからん,でも卒業要件に達するために論文誌は書く必要があるし,新入生のメンタリングも手伝っていきたいし,今やっているプロジェクト以外にもいい感じに進められるものがあれば進めて行きたい.英語だって不自由なく議論ができたり発表できる程度にはしたい.結局学部時代に描いて出来なかった海外ph.D留学は,やらなかった必然の結果として出来なかったのである.なので,博士のうちかその少し後にでもVisitingができるような実力をつけられればと思っている.

とまあ,欲求を書けばキリがない.超人的な努力は出来ないし,ひとまず今あることをやっていければ生きるくらいなら出来るのではないかと思っている.来年はもう少し振り返りが簡単にできるようにしたい.少なくともTwitterを漁ったり,Slackの発言履歴から何をしていたのか思い出す時間をかけずに,このような反省をできればと思った次第である.

夜中に3000字のゴミを産出し,あまり気分は良くない.きっと明日も低調に過ごす日が続く.