2月までの振り返り

silviase
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2024年は少しずつ自分の人生に関する記憶を何らかの媒体で残しておきたいと思うようになった瞬間である.私がこうして振り返りの記録を書こうと思い続けていることも,何のためらいもなく口座の金を減らしてミラーレス一眼を購入したことも,人生100年時代でいえば第一四半期を終え,さて私は何を成したのかと振り返れどもさっぱりわからなかったことに起因する.自分が思ったことはえてして,自分で覚えていることはほとんどない.あの時したであろう感動でさえ,色褪せていくものである.それを一定程度までふたたび想起させ,長期記憶への定着をはかることが,この日記や振り返りと呼ばれるものの役割なのであろうが,悲しいかな,その価値に気づいたのは最近である.世の中には几帳面に10年手帳に日記を書き続けられる人がいるのだが,当の私はそんなものは3日で空欄が目立ち,ひと月もすれば手帳はどこか奥に眠ってしまうのだから,到底真似できることではない.

さて,本筋に戻す.私は1・2月において,以下のことをした.これは外部記録を辿れば出てくるものであるため,幾分か記憶することは容易である.

  • 言語処理学会への論文投稿

  • 修士論文の執筆,口頭発表

  • DSAIシンポジウムでのポスター発表

  • ArxivへのPreprintの投稿

私のひとつの研究,しかも11月や12月ごろにふと考え付いたネタをうまく議論に乗せて論文化するところまで至ったのは完全にメンターのサポートが最高で,その環境を用意してもらえた点がとてもありがたかった.修士課程における心強い居場所のひとつであったことに感謝し,また博士課程でも主要な共同研究者として,自分のことを眺めていてほしいものである.自分はしょっちゅうメンタルを崩壊させるし,酒で進捗は止まるし,正直なんでここまで生きているのかも博士課程に進学するのかも明らかではない.たぶん博士課程というものに定員があったとするのなら,僕はそれに溢れるような人間であるという自負がある.向いていないと思っている.物事も続かないし,けったいな話だがソフトウェアエンジニアリングに微塵も造詣がないので手が早いわけでもないし,ミーハーなところには食いつかず逆張りをするし,理論に強いわけでもないし,言語学や認知のたぐいに明るくもない.

『あなたは何が得意なフレンズなの?』

ふと脳内に,僕が昔センター試験の対策をテキトウにこなしていたときに聞き覚えのあるそんな言葉がちらつく.このアニメでは人間が動物の特性を持ったフレンズの世界に記憶を失いながら迷い込む話なわけだが,人間固有,あるいは主人公の持つスキルによって自己を確立し,また自尊心を取り戻すシーンが印象的である.また常に主人公が達成したなにがしかを屈託なく褒めたたえる場面があるが,私も褒められたいものである.世の中は非情だ.

話はかえって,私はといえば,しょうみ胸を張って得意だといえることはないと思っている.これからもないだろう.たぶん.そこまで熱意をもって取り組めるものがあるかといえば,ないのである.一生を賭して何かを成してやろうという気概があるのだろうか.うーむ.周りの野心を持って行動なさっている人々と比べるとしたらあまりにも無計画で,怠惰であろう.土日は休みたいし,深夜までどうにかこうにか頑張るのはあまりしたくはない.最近は夜まで原稿を直してたりもしていたが,何故ああも働くことができたかわからない.

熱意が全くないわけではないことは,はっきりと示しておきたい.自分で研究しているテーマには興味を持って取り組んでいるし,私が解きたいと思っているからやっている.そうでなければこんな苦行ともいえることに取り組まないと思う.私の研究成果が社会に直接的に還元するわけではないし,それ自体を第一目標とするのは間違っているとすら思っている.社会をよくすることだけを考えるのであれば研究以外のもっと効率の良い方法があるはずだ.真に知りたいと思っていることを問うていられる時間があることに価値を感じている.

ただ,長い短い3年間をどう過ごすかは私が決めることなのだが,どうにも何かしら宣言しておかないと無為に過ごしてしまうんだろうと思っている.したがって,何らかの目標を持ちつつ日々を生きないといけない.最近は進捗が非常に少ないので,自律が必要なことを痛感しているところである.やるべきこととやりたいことのバランスをうまく取れる人間でありたいというのは,たぶん死ぬまで言っているような気がする.人間そう簡単に変われるのなら苦労はしないのだ.

私は卒業要件に修士の研究を含めるつもりは(あまり)ないので,指導教員の悩みの種になってしまうこと請け合いなのだが,なるべく研究室や所属している場所に何らかの益となる人間でいられれば,自分の存在を肯定できるようになるんだろうかと思ったりもしている.自己肯定,してみたいものである.無条件に自分は存在していいものだと思えるのなら,その考え方はとても恵まれているのだと思う.ぜひ続けてほしい.

さて,次の2か月は大体こんなことが起こるだろう.

  • ARRのRebuttal

  • NLP2024での発表

  • M2同期との離別

  • 新しい人々との出会い

  • 博士課程での授業の開始

  • 学振

  • 学振

  • 学振

新しい研究テーマもぼんやり生えてはいるのだが,さてこれを学振の大テーマにしようと思うとなかなか言葉が浮かんでこない.サーベイが足りていないからであるし,どのような問いにしたいかが自分から抜け落ちていたような気もしている.自分が知らないことを知りたいのではなく,自分があらゆることを大概知っていて,それ故にこの世界が知らないことを知りたいのである.厭に自己中心的で,独占欲に塗れたその願いは,ある程度の能力を身につけなければ形にすらならないのがつらいところだ.自分が知ったことは,知りたいことは,いったい何に波及するのかを考えれば,「目指す研究者像」というのも見えてくるのだろうか.

それなりにまとまった量の文字を書いた.日記のようなつらつらとした,中身のない軽薄な言葉なら浮かんでくるのだが.これも私の本質的な部分なのだろう,非本質的な部分,虚飾のうまい人間であるのかもしれない.次はGWに寂しく,自分が何をして,何をしなかったのかを振り返ることとする.