昔のことを思い出した。昔といっても数年前の話だ。
少し前にいたジャンルでの話で、今はそのジャンルの人たちとはほぼ関わりがないから、もういいだろう。そもそも、わたしはそんなに影響力のある人間ではない。
そのジャンルでまあまあ仲の良い人がいて、その人の書いた小説にファンアート(シーンを一部を絵にしたもの)を描いたことがあった。相手はとても喜んでくれて、わたしもすごく嬉しかった。ちゃんと背景も書いたし色も塗ったし、結構頑張って描いたので、なおさらだった。その人はいつもわたしの絵にも反応をくれていたので、何か返したいなとも思っていたのだ。まあ、そんな打算的な考えをしていたのがよくなかったのかもしれない。
それから数日後、別の人が、その小説のファンアートを描いた。
しかも、その人はわたしなんかよりめちゃくちゃ絵がうまくて、周りからも人気のある人だった。なんなら、わたしもフォローしててすきな絵描きさんだった。
その絵を見たわたしは途端にものすごく恥ずかしくなって、贈ったファンアートを消してしまった。(リプライする形で絵をツイートしていて、そのツイートごと消した)
当たり前だけど、誰も悪くない。
でも、そのファンアートに喜んでいる小説の作者を見て、「いや、こんなに上手くて良い絵をもらったら、わたしの絵なんかゴミじゃん」と思ってしまった。(もちろん、そんなことを言われたわけではないし、喜んでる様子にあからさまな差があったとは思わない)
わたしの絵に喜んでくれた、その気持ちだってきっと嘘じゃなかったはずなのに。そして、卑屈で弱い、そんな自分がさらにみじめになった。もし自分が絵をもらう立場だったなら、絵の巧拙なんか気にしないし、すきだといってくれたその気持ちが、何よりも嬉しいと思うはずなのに。
人の好意を素直に受け止められない。どうせ、わたしの気持ちに価値なんてない。わたしが贈る気持ちなんかより、きっと他の人からの気持ちの方が嬉しいに決まってる。自己肯定感が低いのか知らないが、どうしてもそんな風に思ってしまう。わたしを好意的に思ってくれるひとに失礼だとも思うけれど、頭をよぎる「自分の価値の無さ」に、いつもどうしても勝てない。
絵を描くときは、誰かに喜んで欲しくて絵を描いている。それは、特定の誰かであったり、大多数の誰かであったりする。描きたいものを描いているけれど、それでさらに誰かに喜んでもらえるなら、そんなに嬉しいことはない。
なのに、喜んでもらっても、「こんな絵で喜んでるはずがない」と思ってしまう矛盾。自分でもこんな気持ちにどう付き合えば良いのかわからない。
たとえ誰かに「いちばん好き」と言われたとしたら、死ぬほど嬉しくて、飛び上がって喜んで、でもそのうち今度はその席を守りたくてまた辛くなるんだと思う。……し、そもそもそんなことは望んでいない。わたしにたくさん好きなひとがいるように、他の人にもたくさんの好きな人がいて然るべきなのだから。誰かの一番でいたいなんて、責任が重すぎる。
今よりもっと絵が上手くなれば、こんな気持ちは無くなるんだろうか?いつか、納得のいく絵を描けるようになるときが来るのだろうか?
こんな気持ちで絵を描くのは、きっと不健全で不純だともわかっている。けれど、絵を描くモチベーションがそこにあるのもまた事実で、自分とは切っても切り離せないのだから仕方ない。自分と癒着したおもたくてくらい感情と、どうにか折り合いをつけていくしかない。
せめて、渡した気持ちを受け取ってもらって、そして喜んでくれたその気持ちを無碍にするようなことはもうしたくない。せっかくもらった絵がすぐに消されていたら、わたしだったらすごく悲しいだろうから。
あれからは、どんなに悔しかったりみじめに思うことがあろうとも、誰かに宛てた絵を消すことはしていない。