最近ネガティブな日記が多い。日記なので好きなこと書くし、それでいいと思うのだけど日記がネガティブというのはわたしの生活が暗いことの証明でもあるので(それはそう)、たまにはポジティブなことも書いてみようと思う。
最近は映画充がすごい。ゲ謎に始まり、ゴジラ−1、窓際のトットちゃん、君たちはどう生きるか、1月はカラオケ行こ!、ゴールデンカムイと良作が続々と公開されている。毎月、多い時では毎週のように映画館に通っている。
普段滅多に休みの日には出歩かないわたしが、映画館に行くために起きて準備をして出かける。わたしの健康は映画に支えられていると言っても過言ではない。
わたしは良く都心の映画館に行くのだけど、それはレイトショーが充実していて、終電が遅く、仕事帰りにも行きやすいからだ。今となっては仕事以外の出かける理由の7割が映画に行くためなので、東京での生活はあまりにも手放し難い。暮らすのは大変だけれどその分、娯楽との距離の近さは代え難い。4DXもあるし。
昔はそれこそコナンくらいしか行ってなかったのだけど、それは単に見たい映画が地元の映画館で全然公開していなかっただけなのだろうな…と思う。好きな映画がやっていれば、こんなに高頻度で行くのだから。
といっても、わたしは別に特別映画が好きなわけではないと思う。気にはなっても、世間的には有名な洋画とかはあまり観に行かない(今は結構「哀れなるもの」が気になってはいるが、多分観に行かない)。興味がある、好きな映画しか観ないので、「映画」というコンテンツ自体が好きなのではなくて、好きなものが「映画」の形をとったものを観るのが好きなだけなのだと思う。
大きなスクリーンで、大きな音で観る映画はそれだけでアトラクションだ。たった二千円で体験できる非日常だ。おまけに、難しい予約も多大な時間も必要ない。手軽過ぎるというほどではないが、(今のわたしにとっては)すぐに手の届く場所にある、ちょうどいい娯楽。ハマらないわけがない。過去の自分の娯楽といえば、本を買うこととソシャゲに重課金することだったので、かなり健全である。
わたしはこの世で最もコスパの良い娯楽は読書だと思っているけれど、即効性のある娯楽は映画かなと思う。速攻かつ即効。目と耳と触覚、時には嗅覚も。身体に訴えかける、すぐに心に届く、否が応でも、この身に分からされる。
この「無理やり物語に浸らされる」感覚が好きかどうかで、「映画館で観る映画」が好きかは分かれる気がする。わたしは自分から能動的な摂取する物語(まんが、小説)も受動的に摂取する物語(アニメ、映画)もすきだ。
薬と同じように、静かに物語に浸りたいとき、気分を上げたいとき、楽しくなりたいとき、感動した物語をまた感じたいとき…いろんなシーンで、物語はわたしに寄り添ってくれる。いろんな形をとって、わたしの元に。
星の数ほどある、これからの人生で出会える物語たち。出会いたい、出会うべき物語に出会えること。
自分が“すき”だと思える物語や作品に出会えることはこの世で最も幸福なことのひとつだと、最近は改めて感じている。