そういえばフレア●ーテン●ーズのことを書いていないなぁと、下書きのまま放置されている文章をみつけて、思ったのでした。
2月は休日が増える祝日がおおくて、お得な気持ちです。1月は仕事でも私生活でも疲弊していたので、凪の時間を心置きなく堪能しています。
嵐の前の静けさとも言う・・・(来週以降、また忙しいからいやだよ~)
休日と言えば、この前の3連休は友人(趣味:2.5次元を中心に舞台観劇)とカラオケやさんで鑑賞会をしたのでした。
観たのは・・・サイコパスVV1です。
3月にVV3を観劇する予定があり、これに備えて予習も兼ねてみせてもらったのでした。個人的には、嘉納と大城の関係性が、わたしの心の弱い部分にクリティカルヒットしてしまいましたね。
憧れから生じる無自覚の断絶と、己の思想に愚直であるあまり裏切りを生んでしまう不幸なすれちがいは・・・いいね・・・(そういう話でしたか?)
彼らふたりの演技が、ある意味で今後観ることが困難、というのが残念でなりませんでした。
あと、わたしの好きな戦隊もののヒーローのひとり、ボウケンレッドを演じた高橋●臣さんが出演してらして、とってもよかったです。
舞台サイコパスVV1を観た影響で、ずいぶん前にいちど観たきりのサイコパス(アニメ1期)をあらためて観たりもしました。
「人は自らの意思に基づいて行動した時のみ、価値を持つと思っている」
はい、有名な(?)槙島先生のお言葉ですね。わたしはこの台詞を聞いて、自由意志と選択という、自分の好きなテーマのひとつに思いを馳せました。
サイコパスの世界観は、シビュラというシステムによって人間の適性が決定され、これによって社会の秩序が保たれている、というものです。あらゆる人間の職業はシビュラによって限定され、本人の行動には関係なく、その属性も決まってしまう(潜在犯)。シビュラシステムが統治する世界では、人間の自由な選択など存在しえず、善良な市民とはシステムに隷属していることと同義である。
このアニメ、10年前(10年前?!)の作品でありながら、現代社会に通底するところも感じてしまいますね。いまはインターネットの広告すらも、本人の検索履歴等に基づいて興味関心を判断され、「ほらあなたはこれが好きでしょう、買いなさい!」とおすすめされる時代です。いわゆるインフルエンサーが絶賛する商品を、プロモーション活動だと知らないうちに、購入しているひともたくさんいるでしょう。自分の選択は、本当に自分の意志のみに基づいているものなのか……知らないうちにシステムに誘導された結果でしかないのではないか…というのは、いま身をもって感じていることのひとつです(といいつつ、ほんのすこし前はテレビがこの「誘導」の役割を担っていたのかなと考えもします)。
システムに依存することは、自分で考えないということは、とても恐ろしいことだなと思います。
ただのボールになりきり、振り回され役に徹することは、たしかに楽であり保身のためには必要な技能ではあるのだけど、ボールにしかなれないというのは、とてもかなしいことだとわたしは思う(とっつぁんの話)。ふだんの労働行為に思いを馳せながら、彼らのやりとりを見つめていたのでした…。
さて、明日は1年間、首をなが~くして待ちかねていた舞台の初演(じごステ)なので、夜が更けないうちに準備をして、日付か変わる前に就寝できたらいいなぁと思います。
しずかなインターネットを肴に酒を呑みながら書いた文章なので、変なところがあっても許してちょうだいね。
おしまい。