夫が夜勤空けで帰ってきて、沸かしていたお風呂に入ってる間に米が炊けた。ここは徒歩圏内にスーパーが無いので、週に一回ふたりで車を使って買い出しに行っている。一番気に入っているスーパーのオリジナルブランド冷凍カレー(たくさん種類があって、今回自宅にはマッサマン・プーパッポン・キーマ・バターチキンがストックしてあった)から互いに好きなものをひとつずつ選んで解凍した。あとは作り置きの角煮がそろそろ食べきらないとの時期なので、余りも余りみたいな量を2で割りきれるように分けて、タッパーのままテーブルに出した。
2.5合の米が夫婦の一回の食事で無くなるのはやはり少し食べ過ぎな気がする。食べ過ぎな気がするのだが、同時に今日の夫の胃袋的には足りなかったのかなという気配もした。彼は昼飯のあとすぐにおやつにプリングルスのポテトチップスを開けていた。私もちょっと摘まませてもらう。
普通に1日事務仕事をした後に、一晩夜通し歩き続けなければならない(上に休憩や食事も制限がある)夜勤は相当体力を奪うようで、毎回お疲れさまだよと思う。
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夫が昼寝に入ったタイミングで私も隣に寝転がった。「塩釜は寝ないほうがいいんじゃない」と聞かれて確かにそうなんだけれど、起きているのも(今週中にどうしても行かなければならない)郵便局までひとりで歩くのも億劫だった。
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久しぶりに浅く長い夢を見た。
ポルノグラフィティのボーカル・岡野昭仁が出てくる夢。夢の中で私はずっと昭仁さんとデートしていた。以下しばらく夢の話が続きます。
地元のアーケード商店街の入り口で何故か昭仁さんがコロナビールの瓶を立ち飲みしていて、捨てる場所を探していた。軽々しく声をかけるのは良くないと思いつつ、欲望に抗えず、自販機のゴミ箱の場所を伝えるのと共に「ずっと応援しています、9月のライブ、楽しみにしています」と話しかけた。
9月にライブがあるのは本当なんだけれど、私は1枚もチケットを持っていないから「楽しみにしている」というのはちょっとニュアンスに嘘があって心が痛む。でもそんなことはこの都合の良い夢の中では関係がなくて、いつの間にかふたりでポケモンGOのレイドバトルに挑戦するため、街のランドマーク的な神社まで散歩する運びになっていた。
石段の下でボスに挑戦したけれど2人だけでは倒せなくて、なんとなく上の神社まで登ることになった。「前にもこの神社来たことありますか」「やっぱりこの街にツアーに来るときは宿泊せずに東京から日帰りですか」なんて質問に、夢の中の昭仁さんが(私の想像した)答えを返してくれた。
石の長い階段を上った先が地元の神社ではなく磯になっていて、夢だな~と思う。海なし県の県庁所在地出身の私が思い描く海はいつも不定形なのだけれど大抵は観光地の砂浜で、岩と浜が入り乱れる光景を思い描くのは珍しいことだった。たぶんこれは今夏唯一行った海が三浦の磯だったのに由来している。いつもの夏に比べて今年はやはり外に出かけていないことに気付いてしまった。
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靴を脱いで磯に入った。夢の中の海には現実と違って匂いがなくて、磯臭さから解放されてただ、冷たいような感覚のみ脳内に再現されるのは夏の桃源郷だった。
海にせり出すように日本式の茶屋が建っていたり、流れ込む小川の周囲は山奥で川遊びをするような渓谷の景色になっている。磯~小川~そしてお座敷の畳が入り組んだヘンテコな海を、水棲生物を追いかけるように進んだ。至るところに自分たち以外にも観光客がいて「あちらに行くと座敷です」とか「こっちの小川には砂浜の色になったアマガエルが居ましたよ」とかの情報を交換した。夢の中の昭仁さんは躊躇うことなく腰上までざぶざぶと海に入っていて「何かあったらどうするんですか!」と思わず声をあげてしまう。
夢の中の私は大降りな柄の描かれたワンピースを着ていて、これはずっと昔に買ったものだけれど長らく夫の家に置きっぱなしにしていたから3~4回しか袖を通していないもので、今年ようやくふたりの住居が合流したことで夏のワードローブに戻ってきたものだ。彩度は低いけれど浮かれた夏の植物が踊るこのワンピースはお気に入りだけれど、ポケットが無いのが憎かった。普段なら離すことのないスマホも、出先には必ず持っているカメラも手元になくて、夢の中の私には眼前の海と昭仁さんを記録に残す方法がなにひとつ無かった。
夢の中の昭仁さんはいつの間にか首から一眼レフを下げていて、時折気が向いたようにシャッターを切っていた。そのメーカーを見て「その値段のカメラもってそこまで水に入っちゃダメですよ!」とまた声をあげてしまったし「絶対に2m以上近付かない!」と悲鳴のように叫んでしまった。(たぶん現実の昭仁さんはカメラという道具箱にそういうお金のかけ方をするほうでは無さそうだとイメージしてるのに不思議だな。実際にそのメーカーを確定で所有してたのはギターの晴一さんのほうである。)
容赦なく海を照らす午後の陽射しはイエローを帯びていて、岩礁から地平線に向かってファインダーを覗く昭仁さんの後ろ姿に寂しさを覚える。なんだかおどけなくてはという使命感に駆られて、磯の上に設置された知らないキャラクターの顔はめパネルに首を突っ込んだ。子ども用のパネルだから腕穴を通すことができなくて、指先を2、3本ピロピロと踊らせていたら通りかかった観光客に笑われた。どんな状況であれ「人間が顔はめパネルに顔をはめる」のなんて一緒に居るひとに「写真を撮ってください」と行っているようなものなのに、「このデータすぐに消していいですからね!消してくださいね!」なんて言い訳のように口から溢れて、ああ最初からこういうふざけはしないほうが良かったのにと後悔ばかりが広がる。本当に、こういうときにおどけて良いことなんて人生には万にひとつも無い。
これは私の脳内で、つまりは本当じゃない。けれどそれでもいいから、嘘の昭仁さんがこのヘンテコな海でどんな景色を見ているのかをデジタルデータでいいから分けてほしかった。けれど連絡先の交換なんて、夢の中でさえ終ぞ口には出せなかった。ポケモンGOのフレンド交換でさえ口に出せなかった。
顔はめパネルが設置された岩辺は、シームレスに和造りのお屋敷の縁側に繋がっていた。その先には観光客の喧騒と活気がなく、人がいるのに静かなその雰囲気はお寺や神社のような空間を思わせる。言わずもがな、厳島が脳裏によぎる。
壁もなく右手に海が広がる板の上を静かに歩いた。左手の大きな畳座敷では和服をびしっと着込んだ年嵩の女性が、よく響く声でマナー講座を開講しており、海風にのって参加者の緊張がこちらにまで伝染してくる。年季の入った濃茶色の板下で錦鯉がゆらりと翻るのが見え、思わず顔を合わせたが小声でやりとりすることさえ憚られた。
夢の終わりが近いことが理由もなく分かった。2つの廊下と3室のお座敷を抜けたところで、大きな下駄箱の設えられた土間に出た。いかにも観光地の土足禁止の建物にあるあの感じの。夢の出口の下駄箱には、磯に脱ぎ捨てたはずのふたりの靴が並んでいて、触れていいか一瞬悩んだのちに、ふたり分の靴を取り出して並べた。この夢の中で本人はおろか、その持ち物に触れるのも今が初めてだと気付く。
引戸を横に滑らせる。外の陽射しに目が焼かれてフラッシュのように何も見えなくなったあと、目が覚めた。
◇
夢を自覚しながらこんなに長く夢を見たのは久しぶりな気がする。隣では相変わらず夫が、疲れからくる深い眠りに落ちていた。
夫が隣にいるのにこんなに他の男のことばかり考えた夢を見るのも笑っちまうが、全くもって罪悪感がわかないのは、岡野昭仁(50)が今でも私にとって「初恋のお兄さん」の象徴だからなんだなぁと寝ぼけた頭で納得した。
最も「絶対に無理だと分かっているけれど、本気で昭仁さんと結婚したかった」中学生のときですらこんな甘酸っぱくて都合の良い夢見たことないんだけれど。
9月のライブ、やっぱり行きたいんだなと思った。
私と夫はそれぞれ出会う前(具体的には中学生の頃)からポルノグラフィティのファンで、大学生になってからは暗黙の了解で出来る限り一緒にライブに行っている。夫の仕事はずっとシフト制なので私だけで(ひとりや他の友達と)ライブに行ったこともあるのだけれど、今回そうやって自分だけでもチケットを取るのにここまでためらいが生まれているのは、無論私が今、働いていないからで。
夫の職場は本当に先のシフトが出るのがギリギリでそこは最悪だと思っている。つい最近、横浜公演初日までのシフトが出た(休みだった)のだが、そのタイミングでは初日のチケットが一般ですら完売していた。そのとき2日目のチケットはまだギリギリ残っていたが、今日になってもまだ彼のシフトは出ていない。
2日目の9/8はポルノグラフィティのデビュー25周年なので、やっぱり行きたいかもな。
私の人生の「一番」はもうここ10年近く夫なんだと思うんだけど、彗星のように定期的に胸のうちに表れては「永遠」とか「初恋」とかを引っ掻き回していく50歳のオジサンふたりの25周年ライブ、やっぱり現地に行きたくて。
「今回のライブは縁がなかったんじゃないかな」なんてカラッという夫に「そうだね~」と同調してスッパリ諦めたい気持ちと、それでもやっぱり行きたいなって気持ちが交互に打ち寄せて胸を刺し続けている。