本当に休めてるの?って思ったよ。

sisii
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親族の結婚式に行ったよ。少し遠くだったから泊まりで行ったよ。だから旅行を兼ねて一泊二日で行ったよ。子供が生まれてから初めてホテルに泊まったよ。子供が寝てくれるかハラハラしたよ。ちゃんと寝てくれたよ。うれしいな。子どもと初めてのホテルだから、失敗は色々あったよ。改善点も色々あったよ。でも行動範囲が広がって嬉しいな。久しぶりの宿泊は楽しいな。新鮮だな。でも荷物は多くて疲れたな。革靴を履いて長距移動はきついな。久々のスーツは結構扱ったな。

そして家に帰ったよ。たかだか1日ぶりのマイホームだけど癒やされるね。荷解きして、夕ご飯を作って、お風呂入って、子供寝かしつけて、荷解きの続きして、やっと終わって今だよ。疲れたな。

時計を見たらもう22時になるよ。日曜日だから休みは今日までだね。

「後2時間くらい本が読めるな。何読もうかな?」という考えが頭に浮かんだよ。そして何読むか考えたよ。

ここで驚いた。何を読めばいいか分からない。頭のなか空っぽ。どの本読めば良いかノーアイディア。

で、思った。そういえば普段読む本を迷わない。私は最後まで本を読まずにコロコロ変えてしまうので、5〜10冊くらい同時読みしちゃう。同時というかただの保留してる本がたくさんある。だから保留してる本の中で読みたい本が複数あって、どれを選ぼうか?って迷うことはある。でも今回は、読みたい本がノーアイディア。空っぽ。完全に0。

なんでノーアイティアなのかな?って考えて思った。たぶんこう。私の次読みたい本は、自分が興味のある技術かつ今やってる仕事に繋げられる本。そして仕事の状況は逐次変わる。その状況変化で本の優先度も変わる。つまり読む本に迷わないということは、いつも仕事の状態を把握しているということ。

ノーアイディアということは、頭から完全に仕事が消えているということ。メモリー(脳内)から仕事がクリアされている。逆にいつも読みたい本がポンポン出てくる状態は、土日でも仕事がメモリーに乗り続けている。そんな状態になっていそう。

お休みに仕事のこと考えている、把握しているの悪いことじゃない。ちなみに私は仕事が全く嫌いじゃない。だから「どうやればより良くできるのかな?」って考えちゃって自発的にこの状態になっていると思う。特に苦は感じない。といってもやっぱりずっとメモリーに仕事を乗せているのって無自覚で疲弊してたんじゃないかな?って思った。メリハリは大切。電源オフって必要。そのための休日だもん。

休日は電源オフして休もう。だよね?

でもさ、じゃあ今回は休めたのかな?

楽しかったり、色々大変だったりですごく忙しかった。忙しくて仕事のことは1回も考えなかったし、思い出す余裕はなかった。思い出したのは、すべて終って落ち着いたこの瞬間。この21時と22時のあいだくらい。

で「休めたのか?」っていうと、体はとても疲れた。でも頭がとってもクリア。こんなポエム書いてるくらいには元気。たぶんテンションも高い(徹夜のテンションって意味じゃないよ)。でも目を閉じたらたぶん一瞬で眠れると思う。でもとっても爽やかな心持ち。不思議な矛盾。今日はたぶん、すごく気持ちよく眠れる。

じゃぁ「休めた」ってなんだろうね。

土日を家でゴロゴロして、時間に余裕があって、その余裕で仕事のことを思いだして、カフェとか行って本を読んで、それで「休めた?」って問われたら、休めたって答えられるのかな?たぶんこれをやると、日曜日が終わるころに、正体不明の焦燥感を感じるんじゃないかな。というかたぶん私は感じている。これって「休めた」のかな?「休めてる」のかな?

休日のんびり体を休めるが悪いと思わない。必要なときって絶対ある。でも「休む」ってそれだけじゃないんだな、今更ながらきちんと理解した。

「疲れる」ことで「休む」ことがあるんだ。全力で楽しむ。そのために、寝不足になったり、疲れて足が痛くなったり、子供にハラハラさせられた精神的に辛かったり、慌ただしくて、仕事を思いだす余裕なんてなくて、そんな「休み」もあるんだなー。

そう思った。

@sisii
インフラが好きな、エンジニアぶっているナニカ。技術的なことを書いていそうで、本気でポエム書いている。とりとめもなくポエム書いている。きっとそのうち黒歴史。 (一応宣伝、ブログ→blog.i-tale.jp/)