(ほぼ、とらつば51話の感想です。)
よねさんが轟の花岡への思いに気付いたのは「花岡と最後に会ったとき」だと言っていたのが気になって。
多分、よねさんが花岡と最後に会ったのって、寅子にも言わずに奈津子さんと婚約してた花岡に、轟と一緒に詰め寄るシーンのことだと思うんだけど、公式ツイッターの「#とらつばプレイバック」で動画が挙げられたのを見返してみた。
「俺と猪爪は将来を約束していたわけじゃない」と言い訳する花岡にくってかかるよねを制して、「もっと誠意のある伝え方があっただろう」と轟は花岡に語りかける。
「俺の知ってるお前は、もっと優しい男のはずだ」
その時に、よねは視線を轟に投げてるんだよね。あの時に「あれ、こいつ…」って思ったのかも。
ていうか思い返してみれば轟って、「俺の知ってるお前」マウント(?)を花岡に対してちょくちょく出してきていて、ピクニックで怪我した時の病室でも「かつてのお前はそうじゃなかった」とか、「本当のお前を知ってるのは俺だ」って案に口にしていたんだよね。こういう俺がお前の一番の理解者ムーブ、やりようによっては的外れでウザいのだが、轟は真っ直ぐだから、全然嫌味にならない。よねはきっとその心根にあるものを、花岡を見つめる轟のその時の視線から見抜いたのかもしれない。
そして51話。信念を貫いて死んだ花岡に、「あいつならやりかねない」と吐露する。
「俺がずっと前から知ってる、真面目で優しくて不器用が過ぎる花岡ならばやりかねんと……」
轟はきっと、そういう「俺の知ってる花岡」が大好きだったんだなと思った。死んでしまって、会えなくて、悲しいし悔しい。でも最期は「俺の知ってる花岡」のままだった。「……」の嗚咽の合間に「俺はそんなあいつが好きだったんだ」と聞こえた気がした。
この場面で轟は、「あいつが兵隊に取られずにすむと知って嬉しかった」と口にしてから泣き始めるんだよね。きっと戦争中、花岡が生きているということが励みになっていたんじゃないかと思う。「あいつのいる日本へ生きて帰りたいと思えた」……その気持ちは、疑いようもなく、愛でしかないのではないか。
轟のあの涙は、寅ちゃんにとっての優三さん、花江ちゃんにとっての直道と同じ、愛している人に向けて流された涙だとわたしは思う。
どんな時代にもどんな場所にも、同性に思いを寄せる人が当たり前に存在していたことを、プライド月間に明示してくれたことは、とても心強いことだと感じた。しかも天下のビッグコンテンツ「朝ドラ」で。
よねは社会的抑圧から逃れるための選択的クロスドレッサーで、かつそんな自分を「自分らしい」と思ってる人。いわゆる「普通≒社会的規範」のレールに乗らないよねだからこそ、轟自身も「わからない」としか言えない、名付けようのない思い、形にならない感情を「ばかなことじゃない」と、すくい上げることができたのだろうと思う。
自身の悲しみの本質に触れることができた轟は、規範に従って生きることのできない、内に秘めた苦しみを持っていたり傷付いていたりする人たちに寄り添うことのできる弁護士となるだろう。
そんな二人が手を組めば、きっと最強だ。社会が押し付ける「普通」にあらがうバディの誕生に、月曜日から胸が熱くなった。
轟役の戸塚さんのインタビュー、とてもぐっとくることが書いてあったのでぜひ読んでおくれ。