ヘミングウェイにピューリッツァー賞とノーベル文学賞をもたらした、言わずと知れた世界的な名作。
文庫本で、本編は130ページほどなので、早い人なら1時間ほどで読めてしまうのでは?
日本でも多くの翻訳が出ている中、今回は新潮社が2020年に出した高見浩訳を今回読んでみた。
おおまかなあらすじ
老人、サンチアゴは漁師だ。それも八十四日の間一匹も魚を取ることができず、たった一人の助手である少年も彼の船を離れてしまい、一人きりで漁に出なければいけない、とびっきり不運な。
そんな彼がある日海に出ると、嘘のようなとびっきりの大物、巨大カジキが網にかかる。彼は数日間に渡ってカジキとの死闘を繰り広げ、最後には魚を仕留めることに成功する。
港へ戻ろうとする老人だったが、彼が仕留めたカジキの血の匂いを嗅ぎつけたサメが幾匹も海面に現れて……。
海
『老人の頭のなかで、海は一貫して”ラ・マール”だった。スペイン語で海を女性扱いしてそう呼ぶのが、海を愛する者の慣わしだった。』
P30
老人は、彼が船を出す海と、その海に生きる生き物を愛している。
彼が女性に見立てて海を呼ぶところから彼の海への愛は始まる。番のカジキの片割れを仕留めた時を思い返し、イルカが戯れる姿を目にし、空を飛ぶ小鳥が船に現れ、巨大カジキと死闘を繰り広げ、その後に彼の獲物を襲いに来たサメと戦う。
老人は、人間と同じように番を持つ生き物に共感し、船で休む小鳥に憐れみを持って、獲物を狙いに来たサメにも気高さを感じ取り、身を削って戦ったカジキには漁師としての誇りと敵に対する敬意を覚えるだけでなく命を奪った後に愛着すら感じている。
彼は自分を漁師であると定義している。生まれた時からそれ以外であったことはないのだという。彼は漁師として生きるために生き物を殺す、しかし、彼と海の間には紛れもない愛があり、その自然への畏怖と敬意と愛が記されたのが、この『老人と海』という物語、なんてことも考えられる。
少年
サンチアゴは海だけでなく、彼を嘗て手伝っていたある少年のことも気にかけている。少年もまた老いた漁師の船を離れた後も彼のことを気にかけており、老人の小屋を訪れたり、共にカフェに繰り出し海の向こうのアメリカの大リーグの話に花を咲かせたりと世話を焼いている。
サンチアゴは少年が五歳の頃から船に乗せていたという。漁の道具を運ばせ、同じ船に乗り込み、獲物の捕らえ方を教えていた。すでに自分の元から離れていったマリノーンは、老人にとって自分が失っていく若さの象徴ともいえる。
老人は一人きりの海の上で、幾度も「彼がいたら」と独り言を呟いている。彼がいれば一人だけでない漁はもっと楽になる、などという実益的な部分の話だけではない。船を離れてからも少年から感じられる老人への信頼、そして長い間築いてきた二人の間の絆。記憶の合間からそういったものが見え隠れする。
老人が港に戻った後、少年はすっかり漁が手についており、何匹も一人で獲ったと老人に語っている。それでも、少年は老人と共に船に乗ることを望み、まだ彼から教わりたいことがあると言う。少年の存在は老人に自身の老いを見せつける象徴ではあったけれど、彼がこれまでに蓄えてきた漁の知識、海への愛、そういったものを継承する存在の象徴でもあった。そんな風にも捉えられる。
おわりに
大いなる自然とちっぽけな老いた一人の人間の戦いという物語は、神話的なモチーフを持ちながらも、その結末は存外あっけない。しかし、成し遂げるものはなくとも、老人は満足のまま眠りにつく。
これまでに、高見訳以外にも3冊ほど他の訳を読んでいる自分にしては珍しい作品なのだが、この、英雄譚で終わらない背伸びしすぎない人間の描かれ方が好きで、何度も読み返したくなるのかもしれないと再読して感じた。
メルヴィルの『白鯨』ともよく比較される物語なので(こっちはめちゃくちゃ長編だが)いずれこちらにも手を出して読んでみたいところ。