昔から自分を知ってくれている人からすると、びっくりかもしれないが、最近SNSのタイムラインを眺めるのがしんどい。
どんな投稿であろうと、その投稿の裏に承認欲求が透けて見えてしまうからだ。
投稿者が親しい間柄であろうと、そう感じてしまうこともある。
それは仕方ないことであるとも理解している。なぜならSNSを使うという行為そのものが承認欲求を満たす行為でもあるからだ(SNSの運営者はいかに承認欲求を満たし、中毒になってもらうかを考えてSNSを作っているんだからそりゃそう)。
でも、そんな斜に構えている自分にネガティブな感情を覚えるのも事実だ。
第一、ほんの数年前の自分がまさに承認欲求を満たすためにSNSを使いまくっていたからだ。恥ずかしい。
そんなこともあって、つい昨日、SNS(インスタ、X、フェイスブック)に1.5時間の利用制限をつけた。今のところとても心地が良い。
とはいえ、私は思考を言語化することが好きだ。今まで節目のときにはnoteでなるべく誰かのためになるブログを書いたり、なんでもないようなことをXでポストしたり、ストーリーにあげていたりした。
わがままかもしれないが、SNS、というか発信という行為から完全に離れるのはなんだかもったいない。
そんなタイミングだからこそ、このしずかなインターネットのコンセプトがぶっ刺さった。
>ここでは有益な情報を書くことはあまり求められていません。「たくさんの人に読まれなくていい」「自分のために、ひょっとすると、どこかの誰かのために」そんな気楽さで文章を書くための場所です。
100%承認欲求から離脱した状態で文章をかけるかは正直わからない。それはこれから何本かこのプラットフォームで思考を垂れ流したときに自分がどう感じるかに任せてみようと思う。
どのくらいこの投稿が続くかはわからない。あえてルールなども設けずに気の赴くときに発信してみる。
その先にしずかなインターネットとその他の発信メディアの明確な使い分けができるようになって、より生きやすくなる未来を期待しながらこの文章を書いている。