仕事や勉強に「やる気」は要らない という記事を読んで、最近漠然と考えていることを言語化してみる。
大前提として、記事の内容を否定するつもりは一切なく、それも一つの生き方なので良いと思っているのでそこだけ誤解なきように。
結論からいうと「情熱の種を見つけること」は大事なのではないか?と思っているという話。
以下、記事抜粋
筆者が会社勤務をしていた頃、「この人ならなんとかしてくれる」と頼りがいのあるエース社員は総じて無表情で淡々と仕事をしていた。朝と夜、繁忙期と閑散期でまったく仕事のペースが変わらないのだ。それでも大きな成果を上げている。なぜ安定しているかというと、感情を一切入れていないからだ。
「感情を一切入れず淡々とこなしていく」ことで結果は出るのもその通りだが、感情を入れないということは「ただ作業する機械」になるのではないだろうか?
せっかく生きているのに、本当にそれでいいのだろうか?
勉強や仕事をする上でやる気は要らない。むしろ、やる気がありすぎる場合でも安定したペース配分が乱れてしまうなど、デメリットとすら思う。やる気が出ないことに罪悪感を持つ必要はないのだ。
これはその通りだなと思う一方、「明確な強力な必要性」こそ情熱が源泉ではないか?
ただ、自分は何をやるにしても「情熱を持ってやる」ことが大事だと思っていて、その情熱こそが生きる意味であり人生の醍醐味と思っている。
情熱があれば、どんな仕事でも寝れなくなるくらい熱中できる。
熱中できることから楽しいし、結果出したときに嬉しい。
結果を出すために感情を無くす必要はなく、情熱を燃やして結果を出せばよい。
情熱燃やして全力でやって失敗したって悔しい気持ちはあっても後悔はしない。
多くの人に伝えたいのはノウハウ以前に熱中できるなにかを見つけてほしいことだ。
種がなければいくら水や栄養を与えても芽が生えてこない。
なので、やる気どうこう以前にまずその種を見つけてほしい。
その種が情熱となって、色褪せた人生をカラフルにしてくれる。