
これはこの前シンガポールに住んでる友人からもらったタイ土産の…よくわららん動物のマグネット🇹🇭
小中高での学校生活。別に「こうすべき」と誰かに言われたわけではないのに、僕らは自然に集団で群れることが日常だったように思う。僕も過去その1人であったので、よく周りと似たようなものを買ったりすることで集団の均衡を保っていた。
僕の小学校時代、バトルえんぴつ(通称バトエン)という鉛筆を転がして友達とバトルするという、基本学校でゲームが禁止の中で、一応文房具扱いというなかなかグレーな遊びが流行った時期があった。覚えている人はいるだろうか(笑)僕もすかさず周りについていくため、親に買ってもらおうと親に言ってみたら「こんなんで何するの?だめです。真面目に勉強しなさい。」と言われ、買ってもらえなかった。結局その遊びには友達とあまり付き合うことができず、遊びの時間は孤立してしまった。
でもだからといって、放課後が暇になったりすることはなかった。家にはゲームもあったのでそれで遊んでたりもしてた。しかし僕はゲームよりもハマっていた、当時の小学生では考えられない「あるもの」を所有していた。パソコンである。それも親のものではなく、自分のパソコンが当時から手元にあった。
僕の父親は当時(というか今でも)から新しい物がすきなタイプで、大きく話題になる前に自分で情報をキャッチしては、誰もまだ持っていない珍しいものを買っていた。今の言葉で言う「アーリーアダプター」である。
なので僕の家には、3歳の時から当時最先端のパソコンがなぜか家に置かれていた。そのおかげで小学校低学年の頃にはローマ字も覚え、既にブラインドタッチもできていた。今思うと色々やばい。好きの原動力はすごい。
そんなみんながバトエンに夢中の中、小学校のある日。社会の授業中に学校のパソコンを使ったインターネットによる調べ学習をするタイミングがあった。その時班に分かれてパソコンで調べ学習をするのだが、普段キーボードすら触ったことない人がほとんどだったため、キーボードが打てない人が多く、先生の手助けが不可避だった。
そんな中、僕の班だけ異常なスピードで調べ学習が捗っていた。何を隠そう、僕がパソコンができたから調べたい言葉を難なく打ち込んでは出てきた結果を元に友達がまとめてくれるなどしていた。その様子を別の班の友達が気づいた時、「私の班のパソコンでこれ打って!!」と言われ、別の班を手伝うことになり、それが連鎖的にまた別の班のパソコンで打ち込む…という、超キーボード入力無双展開が繰り広げられたのであった。
このときの僕は、間違いなく快感を覚えていた。今思うと承認欲求満たされまくりだったと思うが(笑)これこそ「僕にしかない」という優越感、「マイノリティであることの快感」を覚えてしまったのだと思う。
この時から多分、とてもいい意味で周りに流されなくて大丈夫という考えを持てるようになったと思う。周りがいくら流行りだしたところで、それが自分にとって好きな物だったら別に乗っかっていいかなって思うけど、どうでもいいなと思うものは別に無理に追いかける必要はない。流行りに乗るということは、決して生きていく上の義務ではないということに気づけた。
自分の本当に好きなものを、友達や家族にシェアすることって、時にハードルが高いように感じることがある。馬鹿にされるんじゃないかとか、考えが違うから今後仲良くしてくれないんじゃないか、とか。でもバトエン持ってなくても、結果ずっとパソコンが好きでキーボード使えたおかげでみんなのためになったり、コミュニケーションとるきっかけになった。いい方向に切り開けることもあるのだ。今回はほんの一例である。
自分の好きなものや考え方が社会的多数(=マジョリティ)でも、社会的少数(=マイノリティ)でも、好きな物は好きと胸を張ることが、僕は僕らしく生きる上で大切なのだということを自覚している。そして、好きなもののなかでもマイノリティであるほど僕は情熱的になるし、誰にもこの気持ち負けない!ってなる❤️🔥
僕はマイノリティを好む。もしあなたの好きなものが僕も、そして誰も知らないようなものであるとするなら、それは心から誇っていいと僕は思う。それはあなたにしかない大切で特別なものなのだから🎁
というお話( ´ ▽ ` )ノ🔆