元JALグループ社員のひとりごと

skyscape88
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2024年1月2日に羽田空港で起きた事故に関連しておもうところを書き残しておきたくて、アカウントをとったまま放置していたこちらで初めて文字を打ち込んでみることにする。

わたしが4年前まで勤めていた会社は日本航空の子会社だった。父親が日本航空の社員だったこともありJALの飛行機には幼い頃から親しみがあったのでなんとなく、くらいの気持ちで選んだ会社だったが、新卒から結局10年以上お世話になった。

4年前にその会社を辞めた理由は100個くらいあるのだがそれは別の話として、わたしはそんな会社に入ったにも関わらずまったく飛行機に関わる仕事をしなかった。そもそもその子会社自体が飛行機に直接関わる業種じゃなかった上に、わたしが配属された部署では外販を担当しており一時的なお手伝い以外ではJAL本体の社員と話すことすらなかった。

日本航空はその歴史もあり関連会社も含めた約3万人(今はもっと多いのかな)の社員が安全教育を受講する必要があった。わたしのように結局飛行機にまったく関わらなかった社員も含め、全員だ。例にもれずわたしも丸1日かけて受講した。

内容は、当然御巣鷹山の日航機墜落事故に関しての座学が大半だった。事故詳細や考えられる原因、当時の乗客乗員の方が残したメッセージや遺品、遺族の方のお話などを安全啓発センター見学と講義で学び、これからJAL関係者であるわたしたちがすべきことなどを話し合った。内容は非常に重く辛く、大半の社員は泣きながら受講していたし、精神的に耐えられずに倒れてしまう人も少なからずいたようだ。

その後は実際に飛行機内で事故が発生した場合に、乗客を安全に避難させるための訓練も実施した。事故発生から飛行機からの脱出した後まで、JAL社員がどのようにふるまうべきか、何をしなければならないかを体にも教え込まれた。もちろん実際に乗務にあたっているメンバーの100分の1にも満たない量であるとはおもうが、全グループ社員がJALの飛行機に携わる一員としてこのように安全知識を持ち合わせている。

2024年1月2日、羽田で火事か?というニュースをXで見かけ、テレビを付けて驚愕した。前日は能登半島地震で年始から動揺していたが、まさか翌日もこんな大事故が起こるなんておもってもみなかったし、ついこの前まで所属していた会社の飛行機が関わっているということで大変にうろたえてしまった。正直、このような大きな衝突では犠牲者が多数発生してしまうと悲観的だった。結果として海保機側では複数の犠牲者が出てしまうことになったが、JAL機の乗員乗客は全員が脱出したということで、先述の安全教育のことをおもいだし改めてその必要性・重要性を実感したのだった。

今はもうJALグループ社員ではないけれど、飛行機に乗るときに気を付けた方がよさそうなことをメモしておこうとおもう。すこし古い知識だったり誤りもあるかもしれないので注意は必要。

・緊急脱出時に荷物の持ち出しは一切不可。小さなバッグでも持っていけない。ただしポケットに入っているもの、上着の下に小さなサコッシュ等を斜め掛けしており上着が閉じられていれば、それを出せと言っている時間は当然ない。

・ヒールも履いてはいけない。脱出用シュートはガスで膨らむのでささって破れないようにというのが理由だが、あのシュート、すごいスピードの滑り台なのでヒールで無事の着地はムリだろうともおもう。けど裸足で着地もだいぶやばい。飛行機に乗る際は脱ぎ履きしやすいスニーカー一択かな。。

・シュートは前述のとおりすごい高くて速い滑り台。基本的には乗務員が補助してくれるとはおもうけど、着地のとき止まることは到底できないので地上に着いた瞬間に走り抜けていくイメージをしておく。

・離陸時着陸時には靴や服等の装備は整えておいた方がよい。今回の脱出時に上着を着ていなかった人の話を聞いて新たに気付いたところ。寒い時期シートベルト着用のサインが出てるタイミングでは上着を着ておきたい。

・家のカギとスマホくらいはせめてポケットに入れておく。家のカギが燃えてしまって家に入れない方がいたと聞いて盲点だったなとおもった。キーケースに免許証も入れてポケットに入れておけばいいなとおもい、欲しかったラルコバレーノのキーケースを思い切って買ってしまったえへへ(ただし大きいポケットの付いている服は特に持っていない)