Runaway

おねむ
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Mac Millerの「Self Care」が流れてきた。ちょうど良い。

私は別に変なものを持ってこんな堅苦しい文章を毎回入力しているわけではない。その点で言えばある程度は普通の人間である。しかし人と違うところと言えば、双極性II類を持っていることでは無いかと最近疑い始めた。

前提として、「双極性」とは世の中で「双極性障害」と言われるものである。しかし自分の中でその内容は「障害」というほど強い枷を持っていないように感じているため、意図的に「双極性」という表現を使わせていただく。

双極性とは何か。端的に言って仕舞えば躁状態と鬱状態の差が強いのである。テンションが高い時と低い時の差。それが一般より強い(らしい)。と言ってもとりわけここ最近は「差」というものを感じない。常に落ち着いていながらも、頭は躁状態の中で走っている。常に創作のアイデアが湧いてくるのだ。

この精神傾向は対人関係においてほとんど影響を及ぼさない。一度だけ親友を傷つけたことはあるが、少なくともそれ以外は目立ってそんな傾向を出したことはない。無駄に外面を重視する人間でもあるので、見た目や言動に気を遣いがちであるのと同様に、双極性を飼い慣らすことができていると思う(ので変に特別扱いしないで全然普通の人間として接して大丈夫だよって話)。

昔から双極性はアーティストに多く見られる影響で、Kanye WestやKendrick Lamar、XXXTENTACIONなどは双極性を患っていることを公表している。実際彼らの作品においては自己を双極性と認めた上での二面性との葛藤を表現し、評価を得ている傾向にある。

彼らには音楽もといラップという自己表現の手段を持っていたが、あいにく私はほとんど持っていない。これから大学で学んでいくデザイン分野か、せいぜい人並みというぐらいの文章の執筆能力か。どちらも悪くはない。

しかし私は自分の中に紡がれる物語を漫画や音楽として表現をしたい。一つの一貫したテーマのある物語とか、コンセプトアルバムとか。そういうものを見て、作っていきながら、私は大きくなりたい。

私にこの精神傾向を与えたのが神だというのなら、私は神に感謝したい。そして同時に神を恨む。神は私に無限の創作意欲を与え、そして創作という犠牲者の十字架に私を磔にした。創作は苦であり、喜びである。片方が存在する時、もう片方も私は存在する可能性を常に秘めている。喜びだけを味わいながら創作をするなどということは不可能だ。でも創作をできること、この世に何かしら名前を残そうという意志がある以上、私は幸せなのかもしれない。マリリンマンソンを愛して病まないが、やはり神には感謝すべきなのだろうか。

いずれにしても、これを書いてる時点ではまだ18のクソガキなのである。

双極性とも仲良くしながら、ゆっくり成長していけば良い。

当初この記事のタイトルは「Self Care」だったが「Runaway」に変更した。彼だって、今もきっと双極性という生涯の友人と一緒にVULTURES 3をレコーディングしているのだろう。

@sleepin
ねむい人 変な性癖の話 記事タイトルはその時聴いてた曲とかです