RESURRECTION

おねむ
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1ヶ月ほど前にTwitterアカウントを消した。Twitterの放屁フェチ界隈を傍観していることに嫌気が刺していたのが主な原因である。

そもそも私は今までどこに関しても、しっかりとネット界隈というものに入ったことがない。ネット上で人と絡み、馴れ合うことにあまり意味を感じられないのである。もちろん互いを褒め合うことや何かについて議論を交わすことが創作者においてある程度重要な事は百も承知であるが、ここの「界隈」というのは強くその意義を感じるものではなかった。

私はこのアカウントを作った時からほとんど孤独であった。絡む人は決まって仲の良いFFの5人程度。現実の充実がある以上ネット上での孤独など構わないのだが、創作者である以上「物書き」として自分の名前を呼ばれることが無いのはなかなかに寂しく、残念ではある。

その感情は尚更自分をネット上の孤独に追い込んだ。反面的に、周りがどうでもよくなってしまったのだ。直近で投稿した「僕が匂いフェチなんか〜」において私は人から見られることを放棄した、書きたい作品を書いた。それに深い意味があるわけでも気持ちに安寧が求められるわけでもないが、もはや人からの評価はどうでも良い、ちょうど大きな人生の区切りに際しての記念作品としての立ち位置だった。

結論、自分なりにあの作品は満足度がかなり高いものとなった。この作品が伸びようと伸びなかろうと、私はこの文章とシチュで満足したから良いか、と。作品の伸びとしても悪くは無く、目の上の瘤のように恨めしい処女作とそれに次ぐ作品を除けば、これまでで2番目に伸びた作品となっている。「区切り」としてはちょうどいいな、というぐらいに思っていた。

なぜ私がまた名前を変えて戻ってきたか。それは単に、私の中で放屁フェチのSS執筆という行為がひとつの自己表現として確立されてしまったから。ここ数日、ふとまた書きたいな、と思った感情のままに動いた結果がこれであった。Twitterアカウントをわざわざ作り直すみたいなことは当分の間到底するつもりはないが、pixivだけはあの名義を消して続きとして動かしてみるか、というのが自分の答えである。(追記:もしかしたら早めに戻るかも)

コンプトンでの苦しみを見事に作品として描きあげ崇高な芸術として成り立たせたKendrick Lamarか、一度自分の苦しみを吐露してその後は一過性のザナックス中毒者として捨てられたLil Xanか。いずれもその運命は自分が決められると考える。

そして、

こんな投稿頻度かつ東方とかいうもう終わってんのかみたいななコンテンツの執筆ばかりしているにも関わらずフォローし続けてくださっている200人程度のフォロワー様に心より感謝致します。果たしてこの文章を読んでくださっているかは分かりませんが、これからも改名後「おねむ」をよろしくお願い致します。

また、これから時々心情とか作品の裏話を吐露する事があるので良ければフォローお願いします。

@sleepin
ねむい人 変な性癖の話 記事タイトルはその時聴いてた曲とかです