最近YouTubeで鬱エロゲ紹介動画みたいなのが流れてきて、私の最愛がサムネにいたから「あ~~~」ってなった。フラテルニテの愛ちゃんでした。
フラテルニテ、CLOCKUPから2014年に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲーム。ジャンルは『ハピネスシンドロームADV』。私がプレイしたのは発売から少し(少し?)経った2019年、勿論その評判を聞いた上で買ってプレイしました。正直FANZAでエロゲ買えるようになって、かなり捗ってる。
これがまあ~~~陰鬱。マルチバッドエンド。攻略キャラクターとのハッピーエンドゼロ。「救いなんてない」というキャッチコピー通り。全クリ後のプレイヤーに残ったのは疲労感と喪失感と絶望です。これで抜ける人、上級者過ぎる。
これなんでこんなにダメージ喰らったかというと、かなり現実感があるからで。同じ会社から発売されててよく並べられる「euphoria」ってまあ割と非現実じゃないですか。フィクションだなあ、って思うから内容が重くてもまあ楽しめた。
けど、フラテルニテはなんかゾッとするぐらい現実に近い。勿論、やりすぎ……ってフィクションなとこはあるんだけど。今の自分の生活からは遠くても、悲しいことに美桜さんと同じ被害を受けた人はこの世にいくらでもいるのだろうし、過去にあったカルト宗教のこととか考えると、名前も知らないような世界のどこかでこういう団体は今でもあるかもしれないと思わされるんですよ。
でもこのゲームは結構大事なことを教えてくれていて、結局人と人はわかり合えないんですよ。歩いてきた人生が違うから。同じものを見ても、見える景色や感情が違うんだよな。大地君は狂っていく美桜さんを「間違っている」と思って助けようとしてたけど、美桜さんはその狂いが救いで幸福だったんだから永遠にこの姉弟はわかりあえなかった。
他人を理解するって、妥協なんだよな。「なんか言ってることおかしい気がする」って思っても、「でもこういう人だもんな」ってどこかで諦めないと、人はいなくなってしまうと思う。大事な人であれば尚更。何でもかんでも指摘するのが正解じゃねぇんだよな。だってその人はそう思って今まで生きてきたんだから。嫌いな奴なら指摘してもいいし、ほっといてもいい。今後がどうでも良いから。でも今後が見えてる相手には、妥協は必須だとおもう。例え理解できなくても、わかりあえなくても、それでも一緒にいたいなら。
正義感って難しい。誰かを守る程の力って、本当に本当に大きなものなのかもしれない。多分私にも周りの大事な人を守る力はないけど、せめて寄り添ってはいたいと思う。大地くんも美桜さんに寄り添っていればなにか変わったかもしれない。まあゲームな上に、全部たらればだけど。
まあ……それでも私は……愛ちゃんだけは救えると信じてたけどな……。
フラテルニテは本当にプレイしたことを後悔した夜もあったし、前のPCぶっこわれてクリアデータ消えた時には「本当にやりたくない」と思ったけど、それでも私は今少しずつフラテルニテ2周目に立ち向かっている。人を無理に理解しないために。そういう意味でフラテルニテは道徳、という話。
でも4月発売の新作「鏖呪ノ嶼」は普通に楽しみ。吐月×文鳴ありだよな(あるわけない)。